炭谷銀仁朗とキャッチャーミットと10の人生物語| 嫁との結婚式で雨男!?
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炭谷銀仁朗選手の奥さんへのプレゼントとは。
遠征の多いプロ野球選手ですが、家を空けている日でも渡せるようにという炭谷選手のマメな性格が見えてきます。
それでも自身のことを “雨男” と呼ぶ炭谷選手の意外な結婚式エピソードも。
炭谷選手のキャッチャーミットのこだわりとは、一体どういうものだったのでしょうか。
3年前には甲斐拓也選手も譲り受けたという炭谷選手のミット。そこには甲斐キャノンを支えている秘密がありました。
今回は、炭谷銀仁朗選手の素顔を『10の人生物語』と題して紐解いていきます。
目次
“第二子誕生” 炭谷銀仁朗が継続する支援活動とは
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2019年シーズンが始まり、前半戦が終わりかけた頃の7月6日。炭谷銀仁朗選手の第二子となる長男が誕生。
長女が誕生したのが2012年12月17日だったので、それ以来6年半ぶりの第二子誕生でした。
そんな炭谷選手の新しい家族が誕生する大切な日に、チームの計らいで炭谷選手は出産の立ち会いへ。
無事に誕生してから、試合前に炭谷選手は球場入りしていました。
そんな炭谷選手がライオンズ時代に始めて、ジャイアンツへ移籍してもシーズン中にも活動を続けているのが、難病の子どもに関わる支援活動。
2015年から続けている活動で、先発マスク勝利で1万円を寄付。
2019年シーズンから新たに始めたのが、ヒット1本を打つごとに1万円を寄付するというものでした。
この活動で子どもたちと触れ合っている炭谷選手。
毎回、炭谷選手は「頑張ろうという気持ちになる」と元気をもらっていることを話しています。
“マメな人” 炭谷銀仁朗の妻へのプレゼント
2人目の子供が誕生した炭谷選手。
結婚をしたのは、2012年8月8日。炭谷選手が25歳の頃で3歳年上の一般の方との結婚でした。
そんな炭谷選手は “マメな人”。
今でも奥さんの誕生日である5月18日にはお花を贈ったことがあるのだと話していたことがありました。
炭谷選手は「お店で買ったことはないけれど」と言いつつも、ネットでお花を注文したのそう。
5月はペナントレースの真っ最中で、遠征の多いプロ野球ではシーズン中に自宅にいる日はそれほど多くないかもしれません。
しかし、炭谷選手は奥さんの誕生日に遠征で家を離れる予定があるときは、お花を注文して行くのだと話していました。
『生まれた日も雨だった』炭谷銀仁朗の “結婚式”
炭谷選手が当時結婚式の場所に選んだのがハワイ。
挙式当日まで晴天が続いていたのだといいます。
しかし、式の当日も晴れていたけれど、始まる時間になると一転して雨に。
奥さんが「誓います」と言う誓いの言葉で雷が鳴り響いていたのだと炭谷選手は振り返っていました。
そんな炭谷選手は自身のことを “雨男” なのだと言います。
炭谷選手が生まれた日も雨だったのだそう。
印象的な日に雨が降ると「雨男なのでは」と思ってしまうと聞きますが、炭谷選手にとっての大切な日である結婚式や生まれた日に雨だったのが印象的だったのかもしれません。
炭谷銀仁朗の “朝ごはん習慣”
炭谷選手は結婚してからも「朝ごはんは食べたくない」と話していました。
一応朝ごはんは食べているのだけれど「起きてすぐご飯は食べられない」のだという炭谷選手。
ナイターゲームの日は朝9時とか9時半に起きて、球場に来てから食べるのだそう。
なので時間的には、朝ごはんというよりは “練習前に食べるご飯” という感じなのだと話していました。
プロ野球はナイターゲームが多いので、家に帰ると日をまたぐこともあり、就寝時間も遅くなってしまうことも。
デイゲームの日もあったり、キャンプの時期は朝が早かったりと生活リズムもバラバラになりがちな職業かもしれません。
炭谷銀仁朗が大切にする “言葉” とは
そんな生活習慣とは裏腹に、炭谷選手は几帳面な人。
高校時代から大切にしている言葉があるのだと言います。
それは、「何をするにも常にこだわりを持ってやること」
高校時代に監督からいつも言われていたことなのだそう。
ノックの送球一つにしてもこだわりを持ち、そこにどんなボールを投げるということまで意識してこだわるように指導されてきたのだと話していました。
高校時代、帽子のツバには、「こだわり」という文字も。
その “こだわり” が炭谷選手のさらなる成長を促したのかもしれません。
炭谷銀仁朗が師事していた “大物選手” とは
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炭谷選手には若手の頃から師事していたある大物選手の存在があります。
それは、高校時代からずっと見てきたという憧れの存在でもある城島健司さん。
今は引退していますが、WBCでも日本代表をリードして、MLBのマリナーズでもキャッチャーとして1年通して活躍した人です。
炭谷選手は城島さんにお願いをして自主トレを一緒にやらせてもらい、2012年に城島さんが引退するまでずっと一緒に自主トレをしていた師匠。
城島さんからは「銀」と呼ばれていたのだという炭谷選手。
今でも親交があるのだそうで、炭谷選手はどことなく城島さんに雰囲気が似ているような気もします。
“甲斐キャノンを支える”!? 炭谷銀仁朗のキャッチャーミットへの “2つのこだわり” とは
自主トレで教わったことは次の世代へ。
3年前にはホークスの甲斐拓也選手が炭谷選手に話しかけて譲り受けたというのが炭谷選手のキャッチャーミット。
送球動作にうつりやすい工夫がされているミットが、今では甲斐キャノンを支えているのだそう。
炭谷選手がキャッチャーを始めたのは小学生の頃。
最初は古田さんや城島さん、阿部慎之助選手のような有名選手のミットというように形から入っていったのだといいます。
そこから自分で使っていく中で、もっとこうした方が使い易いというように変化を重ねていったのだという炭谷選手。
今ではミットに強いこだわりを持っていて、甲斐選手のように他の選手がアドバイスを求めるまでに。
炭谷選手が強いこだわりを持って使っているのが “ハタケヤマ” というメーカー。
毎年ハタケヤマのメーカーから年間で10個ぐらいミットをもらい、その中で気に入ったものを1、2個試合用に選ぶのだといいます。
その特徴は主に2つ。
1つ目は、他の選手に比べてひと回りかふた回りミットが小さいこと。
その理由は、ピッチャーのボールを受けるので、手の感覚で捕りたいということなのだそうで、ミットが大きいと先の方にボールが入ってしまうとボールを捕った感覚がないのだそう。
そして2つ目がミットの捕球面が浅いこと。
これによって、ボールを右手に持ちかえやすく、スローイングの動作に入りやすいのだと話していました。
その銀仁朗選手が愛用するハタケヤマのミットがこちら。
ポケットが浅いことで甲斐キャノンも支えているというミット。
そのぶん捕球が難しいのだけれど、使いこなせるように練習を重ねているのだそうです。
“几帳面” 炭谷銀仁朗が続けるメモの習慣
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炭谷選手のこだわりはこんなところにも。
それは、炭谷選手がずっと続けているというメモの習慣。
ライオンズでのルーキー時代から知らないピッチャーのことは書いてきたのだといいます。
そしてその習慣が本領発揮しているのが、FA移籍をして新チームへ加入した2019年シーズン。
チームが変わったことでそのルールも新たに捕るピッチャーも多いので、キャンプからどんどんメモを取っているのだという炭谷選手。
「頭に記憶しておこうと思っても忘れることも多い」と今後もつけていくのだと話していました。
コーチからも色々な人からアドバイスをもらうので、その時にメモできなかったことも部屋に帰ってからメモをつけているのだそう。
「全部が新鮮」と新しい環境に学んでいる炭谷選手。自身の成長の場となっているのかもしれません。
『電話がかかってきた』FA移籍の “びっくりエピソード” とは
新しい環境での挑戦が始まっている炭谷選手。
そのきっかけは一本の電話にありました。
それは、FA宣言をした後のこと。
炭谷選手へ知らない番号から着信が入っていたのだといいます。
その時は出ることができず、そうしたらショートメールで「原です」と書いて届いたのだという炭谷選手。
それで「ドキッとした」のだそうで、折り返し掛け直したのだと話していました。
それまではそれほど面識があったわけではないのだといいますが、原監督は “小さい頃からテレビで見て憧れの存在だった人” という炭谷選手。
やはり移籍の決断の理由は原監督から直接声をかけてもらったことが大きいのだそう。
「優勝するために力を貸して欲しい」と言われたことが心に響いたのだと話していました。
『楽しい後輩たちが多い』炭谷銀仁朗の新天地での再スタート
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炭谷選手のプロ14年目の挑戦。
「キャンプ初日は侍ジャパンで集まったというような疲れだった」と話していた通り、炭谷選手も緊張感の中での練習だったのだといいます。
それでもジャイアンツではキャンプ前に3日間の合同自主トレという形で選手が集まっているので、その3日間があって助かったのだという炭谷選手。
その期間に坂本勇人選手と菅野智之選手が新しく加入した選手に歓迎会を開いてくれたのだと話していました。
もともとは、ジャイアンツは固いイメージがあったのだという炭谷選手。
それでも歓迎会で「みんな気軽に話しかけてくれた」と意外と楽しい後輩たちが多いという印象を持ったのだそう。
「32歳だし気を遣われるかなと思って入団したのだけれど、意外と年下の選手も気楽に喋りかけてくれる」と外から見ていたジャイアンツの印象と違ったのだと話していました。
2019年シーズン、炭谷選手の若いピッチャーを引っ張るリードを見ていると、頭脳派だということがわかります。
1球ずつバッターの反応を観察して、上手に裏をかいている姿。
ベテランとはいってもまだ32歳なので、これからさらに名捕手と呼ばれる選手になっていくことに期待です。
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