柳裕也の母と妹と7つの人生物語| “憧れの父”と飛躍への軌跡をたどる


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柳裕也投手が “プロ野球へ入ると誓ったエピソード” とは。小学生の頃、尊敬する父親と二人三脚で取り組んできた家族の軌跡が見えてきます。
いつも笑顔で周りにおおらかに振る舞う柳投手ですが、”意外な弱点”も。

そして、2019年シーズンに柳投手が勝てるようになった理由とは、一体どういうものだったのでしょうか。
柳投手が語っていた “2つの要因” がありました。

今回は、柳裕也投手の飛躍までの道のりを『7つの人生物語』と題して紐解いていきます。

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「うめいている」柳裕也の “意外な弱点” とは


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トークショーなど、柳投手が人前で話しているのを見ると、落ち着いていて堂々とした姿。
柳投手は、球団のイベントやトークショーでは緊張しないのだといいます。

 

しかし、そんな柳投手も「試合前には吐きそうになる」と先発する試合前はとても緊張するのだそう。
さらに、その試合で勝ったら、いつも寝付けないのだという柳投手。2019年シーズンはビジターゲームで勝つことが多く、勝った日は遠征先のホテルで寝られずにうめいているのだと話していました。

 

みんなが見ているところでは堂々としているんだけれど、誰も見ていないところで緊張したりうめいていたり、さらには泣いていたり。
そんな人間味あふれる柳裕也投手はどのような人生を歩んできたのでしょうか。

 

柳裕也の “憧れた父” との幼少時代


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1994年に宮崎県都城市に生まれた柳投手。野球を始めたのは小学3年生の頃なのだといいます。
野球を教えてくれたのは父・博美さん。しかし、野球の経験がなかった博美さんは野球の入門書を買ってきて、その本を見ながら一緒に練習してくれたのだそう。

 

いつもお仕事が終わると一緒に練習してくれたという博美さん。
柳投手には「嬉しかった」と話す父とのエピソードがあります。

 

それは、柳投手が素振り用のバットが必要になった時のこと。
博美さんはホームセンターで木材を買ってきて、手作りでバットを作ってくれたのだといいます。
これを受け取った柳投手は「自分ももし親父になったらああいうことしたい」と父親の優しくて謙虚な姿に憧れを抱いていたのだと話していました。

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「甲子園の決勝戦を見た」柳裕也がプロに入ると誓った日


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柳投手が小学6年の頃のある日、急なお仕事が入って家を出た父が交通事故で他界。
柳投手と妹、母の3人の家族にとって先の見えない状況で母親が辛そうな姿を見せる中、柳投手だけはいつも元気に振舞っていたのだといいます。

 

「父親が同じ立場だったとしても弱いところを見せていないと思うので」と振り返る柳投手。
そんな柳投手のいつも元気に振る舞う笑顔に励まされて、家族は前に進むことができたのだと母・薫さんは振り返っていました。

 

そんな時に柳投手の目に入ってきたものが。
それは、甲子園の決勝戦。あの斎藤佑樹投手の早稲田実業と田中将大投手の駒大苫小牧の試合でした。
その試合を見た柳投手は「プロ野球選手になろう」と決意。

 

それから迎えた小学校の卒業の際に、母親に向けて手紙を送ったのだといいます。
その内容は「父へ少しでも近づけるようにがんばります」というもの。その手紙は今でも母の宝物になっているのだそうです。

 

いつも背中を押してくれた “母親・薫さんの存在”


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それから中学の硬式野球を経て、柳投手は憧れていた名門・横浜高校へ進学。
その時は宮崎から横浜へ妹と母を残して寮に入ることに、迷ったのだといいます。

 

しかし、その心境を察した母・薫さんは「行っておいでよ」と背中を押してくれたのだそう。
柳投手は迷いながらも実家を離れて進学。「行かせてもらっているからには、なんとしてでもプロになる」という気持ちで横浜高校へ。
それから横浜高校では、3度の甲子園出場を果たしています。

 

その後明治大学へ進学した柳投手は、ドラフト会議でドラゴンズから1位指名を受けた際のインタビューで、母親への感謝を語っていました。
その内容は、「中学で硬式野球をやりたいと言った時も横浜高校へ行きたいと言った時も、明治大学で野球をやりたいと言った時にも、いろんな苦労があるにもかかわらず「自分の行きたい道を選ぶと良いよ」といつも背中を押してくれた」と感謝の気持ちを伝えていました。

 

柳裕也のおおらかで器の大きな “人柄エピソード”


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明治大学へ進むと野球部ではエースでキャプテンに、そして大学日本代表でもキャプテンを務めていた柳投手。
その人柄は、チームメイトから絶大な信頼をおかれていました。

 

「背中で周りを引っ張ってきた」という柳投手。大学の野球部で気をつけていたことがあるのだといいます。
それは、「キャプテンというのを演じないようにフレンドリーに振る舞う」ということ。
「4年のキャプテンというだけで緊張すると思うので」と1年生には特に自分から話しかけるように気をかけていたのだと話していました。

 

柳投手を見ていると、いつも周りの人に笑顔でおおらかに接している姿が見られます。
この前もインタビュアーから「いつも笑っているね」と言われていて、そういう姿が周りから信頼を集める理由なのかもしれません。

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柳裕也の実家の “小さな博物館”


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そんな柳投手の実家には “小さな博物館” があるのだと、ある番組で放送されていたことがありました。
そこには明治大学の頃の写真や盾、グローブなど飾られている様子が。

 

その中には、高校時代に柳投手が使っていたというグローブも。
そこには、「母への恩返し」と刺繍されており、いつも家族への想いを持って野球に取り組んでいたことがわかります。

 

2019年シーズンはプロ入りをして3年目。今年は “小さな博物館” にもドラゴンズの記念品が増えていくかもしれません。
6月時点でリーグトップの勝ち星を挙げて、今年のピッチングを見ていると明らかに成長した姿が見られます。
柳投手がこれだけ成長した背景には、どのような理由があったのでしょうか。

 

柳裕也が語る “勝てるようになった2つの要因”


出典:「http://column.sp.baseball.findfriends.jp/」

これだけ勝てるようになった柳投手の2019年シーズン。その裏には、ある2つの要因があるのだと柳投手が番組で話していました。

1つ目が、2018年の秋から取り組んできた “2段モーション”。
これによって、ボールの球威が全体的に上がったこと。球威が上がったことでストレートを決め球に使うことができるようになったことが大きいのだといいます。
2段モーションといえばカープの大瀬良投手が思い出されます。投球スタイルもおおらかな性格も2人とも似ているようにも見えます。

 

2つ目が、シーズンが始まった5月上旬に新しい球種に取り組んだこと。ナゴヤ球場で練習している姿がありました。
シーズン途中に新しいボールを使い始めるというのは異例ですが、それにはあるきっかけがあったのだといいます。

 

それは、ブルペンで個別練習をしていた時に、阿波野秀幸コーチもいて、色々な球種を投げていたら「お前それ使えるんじゃないか」という話になったこと。
その意図は、もともと柳投手が持っていたカットボールとカーブに、その間の球速帯で投げられるスライダーを組み合わせれば緩急のバリエーションが使えるようになるということ。

 

これらによってローテーションを守ることができるようになった柳投手の2019年シーズン。
高校の先輩に松坂大輔投手、大学の先輩には川上憲伸さん、自主トレでは吉見一起投手の元で取り組んでいる柳投手ですが、そんなエースと呼ばれるような存在になっていきそうなシーズンかもしれません。

 

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