DeNA・山崎康晃の家族愛がわかる7つの物語 | 母と姉とスヌーピー!?
毎年、山崎康晃投手が母・ベリアさんへプレゼントしているものとは。
小学3年生の頃に訪れた “人生の転機”。そこからプロへ入るまで、紆余曲折を繰り返した山崎投手。
その姿をいつも支えてくれたのが、ベリアさんでした。
山崎投手がロサンゼルスへ留学をした “意外な理由” とは。
あの黒田博樹さんも通ったというアスリーツ・パフォーマンス。
それ以上に、山崎投手がこの地で得たかったスキルとはどういうものだったのでしょうか。
今回は、山崎康晃投手の家族愛を『7つの物語』と題して紐解いていきます。
目次
「おばあちゃんとコミュニケーションを」山崎康晃のロサンゼルス留学と英語力
山崎康晃投手の母・ベリアさんは、フィリピンが出身地。
その母方の祖母・ナナイさんはフィリピンにいるのだと話していたことがありました。
フィリピンの公用語は英語で、ナナイさんと山崎投手は英語で喋るのだといいます。
ルーキーイヤーのオフには、山崎投手が3週間ロサンゼルスへ語学留学へ行ったことがありました。
トレーニング施設で身体の使い方や体調の管理方法を学ぶのも目的だったようですが、この留学の一番の目的は「おばあちゃんとコミュニケーションをとること」
この後にもチームメイトの英語圏の投手とお寿司を食べにいって英語で喋っていたり、英語習得も目指していた様子でした。
僕は以前、英語を練習していたことがあって、スカイプでフィリピンにいる50人ぐらいの先生と話していたことがありますが、フィリピンの人って聞き取りやすい英語を喋る人が多かったです。
山崎投手のベイスターズにも英語圏からきた選手は何人もいますし、筒香嘉智選手のような語学が堪能なキャプテンもいます。
ロサンゼルス留学から3年が経ちますが、山崎投手の英語は堪能になっているのかもしれません。
留学など、新しいことにもどんどん挑戦していく山崎投手。
その向上心の裏には、幼少期からの紆余曲折があるのかもしれません。
山崎康晃の母&姉と奮闘した幼少時代
山崎投手の出身は東京都西日暮里。フィリピン出身の母・ベリアさんと日本人の父との間に生まれました。
山崎投手の最初の人生の転機は、小学3年生の頃に訪れたのだといいます。
それは、両親の離婚。山崎投手は家庭を顧みなかった父ではなく、母と生活することを選んだのだそうです。
1DKのアパートで母と姉との三人暮らし。
ベリアさんは日中は工場で、夜8時から深夜1時までは飲食店で仕事をかけ持ちで週7日働いていたのだといいます。
「母と一緒に夕食を食べた記憶がない」という山崎投手。
これだけ忙しく働いていても、土日には山崎投手の野球の練習へお弁当を欠かさず作ってくれたのだそうです。
そんな母が夜遅くに帰ってきてから家事をしなくて良いように、山崎投手と姉の麻美さんは一緒に家事を一生懸命手伝って、ベリアさんが帰宅してすぐに寝れるようにしていたのだと話していました。
プロ野球選手に!?中学生時代にたてた山崎康晃の決意とは
山崎投手が中学生時代になっても、母・ベリアさんはより一層働いていたといいます。
ベリアさんは体調が悪い時でも、家族のために仕事に行かないといけないと無理をすることも。
その姿を間近で見ていた山崎投手は、「プロ野球選手になって母を楽にさせる」と決意。
強豪・帝京高校へ進学することを決めました。
ここから厳しいレギュラー争いの中で奮闘して、2番手投手として2度甲子園へ出場。
プロの目にとまる選手に成長していき、プロ志望届を提出していきます。
人生はうまく行かないことも!?山崎康晃の野球を諦めかけたエピソード
出典:「http://news.livedoor.com/」
しかし、それでもドラフト会議で山崎投手の名前は呼ばれず。
山崎投手が描いていた人生設計の通りには行かず、姉の麻美さんがすでに就職をして母を助けていたのを見ていた山崎投手は、「自分だけがこれ以上負担をかけられない」と野球をやめてスポーツトレーナーになって家計を支えようと決断。それを母へ伝えたのだそうです。
しかし、それを聞いたベリアさんが山崎投手へ言ったのは、「やめるなんて絶対に許さない」ということ。
山崎投手自身の夢を叶えて欲しいという想いで、ベリアさんが説得したのだそうです。
山崎投手は、奨学金が出るという亜細亜大学へ進学して、もう一度プロ野球を目指すことに。
より一層練習をして、山崎投手は4年後のドラフト1位でベイスターズへ入団。
一年目からクローザーに大抜擢されて、今ではその年俸は1億5000万。念願だった親孝行に励んでいます。
球場でも毎日食べる!?山崎康晃の好きな食べ物とは
そんな山崎投手が好きな食べ物は、オムライスなのだといいます。
試合がある日は、6時間前の12時に球場へ来るという山崎投手。
お昼ご飯でいつも決まって食べているのが、『目玉チャーハン』というメニュー。
チャーハンの上に卵2個の目玉焼きが乗っているオムライスのような料理です。
子供の頃から、母の作るオムライスが好きだったという山崎投手。
大学時代にも家族の手伝いに週末に実家へ帰っていたのだといいますが、その時にも作ってもらって食べていたものなのだそうです。
山崎康晃が毎年母・ベリアさんへプレゼントしている親孝行とは
山崎投手が、母・ベリアさんへ毎年プレゼントしているものがあります。
それは、横浜スタジアムのシーズンシート。
ここまで野球を続けさせてくれた母へ、毎試合その活躍する姿を見せています。
初セーブのボールをお立ち台で「母へ贈る」と語っていたり、試合後に母へボールを渡している姿も度々見られます。
プロ野球選手でも親孝行をするのが照れ臭いという人は多いように思いますが、山崎投手はこれだけ素直に親孝行しているのはすごいなあと思います。
本拠地が横浜のベイスターズへ入団したことも、母が球場へ足を運ぶのに良かったのかもしれません。
(筒香嘉智選手の意外な私生活がわかる記事はこちらから読めます。)
枕元にも置いている!?山崎康晃のもう一人の家族とは
山崎投手には、もう一人、「家族のような存在」と話していたものが。
それは、スヌーピー。ベイスターズへ入団したとき、寮へ持ち込んでいたのもスヌーピーのぬいぐるみでした。
大学時代にも、枕元へ置いて寝ていたのだといいます。
山崎投手のスマホカバーにも、アップルマークにキスをしているスヌーピーが。
もともとは、母がスヌーピーが好きだったのだそうで、それに影響されたのだそう。
今では、自身のツイッターで、スヌーピータウンを訪れたことを度々報告もしている様子も。
スヌーピーは人生哲学が学べる漫画としても世界中でファンは多いです。
“孤独” や “不安” など負の側面まで深いテーマで描かれているスヌーピーの作品。
山崎投手はルーキー時代から考え方が大人びていて、その口から出てくる言葉が新人離れしていましたが、そういうところもスヌーピーに影響を受けているのでしょうか。
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