耳に障害の苦悩と工夫!”あつお”・山田遥楓の性格がわかる7つの物語


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難聴という障害が野球の障壁になっていく中、山田遥楓選手はいつも工夫と努力で乗り越えてきました。
それがわかる高校時代の山田選手がとった、”びっくりエピソード” とは。

 

耳の障害がある場合、それをもう一つの耳と視覚で補うのが一般的です。
しかし、野球では四方に選手がいて、見る方向が複数ではないので、聴力が重要なスポーツでもあります。
守備で外野手とぶつかってしまった山田選手は、普通ではありえないフライの捕り方を編み出して1軍の舞台に挑みます。

今回は、山田遥楓選手の耳の障害の苦悩を努力と工夫で乗り越えてきた、『7つの物語』をご紹介します。

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山田遥楓の持つ耳の障害とは


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山田遥楓選手の活躍を阻むものがあります。
それは、先天性の難聴。
山田選手は生まれつき、右耳が聞こえないのです。

 

それが、ミスの許されないプロの世界では大きな障壁になることも。
「片方の耳が聞こえないことは、とても大きいこと」と話す山田選手。
守備の際、誰が取るかチームプレーで声かけをするとき、聞こえなくて他の選手とぶつかってしまったことがありました。

 

この時は2軍の試合でしたが、1軍の試合となると観衆の声が地鳴りのように聞こえる中でのプレーなので、より周りの掛け声は聞こえなくなります。
そんな中で山田選手が出した答えがありました。

 

(実家のりんご農園が台風の被害に!?少年時代に苦労した外崎修汰選手の記事はこちらから読めます。)

 

障害の発見と両親の心配


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山田選手の右耳が聞こえないとわかったのは3歳の時。
父・厚志さんは、「スーパーに行っても、呼んでもあまり振り向かなかったりキョロキョロってする。何かおかしいというのは確かにあった」と話します。
両親は、そういうことが増えてきたため病院で調べてもらったら、山田選手は生まれつき聴力がゼロであるということを言われたのだそうです。

 

母は「もし聞こえている方の耳が何かしらの事故で聞こえなくなってしまったら、という不安はずっとあった」と心配しています。
特に野球をやっていると怪我はつきもので、どの選手もどこかのタイミングで怪我をすることがあります。
それが頭にボールが当たったりしてしまうと思うと、両親は心配で仕方がないということも想像できます。

 

(先発する試合に両親が見にくるという高橋光成投手の記事はこちらから読めます。)

 

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山田遥楓の小学校・中学時代の悔しかった想いとは


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そんな中で野球に熱中する山田選手でしたが、耳の障害が原因で悔しい思いをすることもありました。

地元佐賀県の少年野球チームで、この頃から運動神経は抜群だった山田選手。
中学からは、もっと高いレベルを目指して県内でもトップレベルのチームに入ったのだそうです。

 

守備は上手だったものの、高いレベルではバッティングは評価してもらえなかったといいます。
“ボールが頭に当たって左耳まで聞こえなくなっては危ない” という声もあって辛かったという山田選手。
「中学校は屈辱的というか悔しい思い出しかない」と話していました。

それから高校へ進学して、この想いを晴らすための戦いが始まります。

 

(小学校・中学時代からプロ野球へ進むためだけに奮闘した秋山翔吾選手の記事はこちらから読めます。)

 

「なんだこいつは」!?山田遥楓の高校入学時のびっくりエピソード


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ここで、山田選手は驚きの行動に出ました。
県内の強豪・佐賀工業高校へ進学した山田選手はその入学試験の合格発表があった後、佐賀工業のグラウンドに一人で学生服で来ました。
そして、監督の吉丸信さんに、「監督はどういう野球されますか」といきなり訪ねたのだといいます。

 

吉丸さんは、「なんだこいつは」と中学3年生がそんなことを聞いてくることにびっくり。
普通は野球部に入ったあとに監督と顔をあわせるものだと思います。
しかし、その時の山田選手は “本気の目で聞いていた” というので驚きです。

 

兄も驚く山田遥楓の努力と高校時代


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そんな山田選手は高校へ入るとその凄まじい努力が始まります。
学校から帰った後は自宅でも特訓。
父親に頼んで、自宅の倉庫に練習場を作ってもらい、深夜までバッティングの練習を続けていたといいます。

その練習場は床に人工芝が敷いてあったけれど、練習しすぎて剥がれてしまったほどだったそうです。

 

そんな姿を見ていて、兄・晟雅さんもいつも驚いていたのだといいます。
いつもご飯を食べてすぐその練習場に移動する山田選手。
毎日継続して取り組んでいて、全く休まなかったのだといいます。

 

山田選手の高校時代のカバンとグローブの名前の近くには「負けてたまっか」という文字が刺繍されています。
ハンディに負けずレギュラーを勝ち取ろうと必死だったのだそうです。

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工夫で乗り越えたチームプレー!苦労を知るキャプテン・山田遥楓の取り組みとは


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2年生の時、野球に対する姿勢を買われてキャプテンに就任。
当時108人の大所帯だった野球部をまとめる立場になりました。

 

聞こえないハンディのある自分に務まるのか不安だったという山田選手。
右耳が聞こえないので、右側から話されると聞こえない。
そういうときになると、何度も聞き返しながらやっと会話になっていたといいます。

 

それでもチームメイトの声に懸命に耳を傾けて、選手がミスをした時には聞こえる距離まで近づいて修正点を伝えたのだそうです。
さらに、手紙を書いて控えの選手を励すということもしていました。
これは、山田選手自身が中学時代に思うように試合に出れなくて、その悔しさを知っているからこそのものでした。

 

一度、自分の身を以てその苦労を体験している人って、そのあとはそういう人の気持ちがわかるのだと思います。
山田選手の場合は先天性の難聴がありますが、それがあるからこそ障害を持つ人の苦労がわかるのではないでしょうか。

 

普通はやらない!?障害への工夫で編み出した技と “あつお”


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耳の障害が野球でも障壁になっていた山田選手。
いつも気をつけていることがあります。
それは、コーチや先輩から指示を受けるときは、必ず相手の右側に立ち、左耳で聞くようにしていること。

 

朝起きて最初はやっぱり落ち込むこともあるといいますが、「でもやっぱりそういう時に元気が出せなかったら、周りも元気がないなと思う」と話していて、そういう隙を作らないようにやっているのだそうです。

 

しかし、プレーでも障壁になってしまうことが。
守備でフライが上がったとき、周りの選手の掛け声が聞こえないことが1軍へ上がる障壁になっていたのです。

 

それから新しい “ボールの捕り方” を練習。
その捕り方とは、フライが上がるとまずボールを見て落下点を予測。
次に一度ボールから目を離し周りの選手の位置を確認。
そして再び目でボールを追ってキャッチするというもの。

 

一度ボールから目を話すとエラーのリスクが増すため、プロでも普通はやらないことです。
こういう工夫によって一つ一つの障壁を乗り越えて、ついに1軍で活躍を始めた山田選手。
ホームランのときには “あつお” ポーズも披露。
自主トレに参加している松田宣浩選手公認のポーズで、飛躍をはじめています。

 

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