上原浩治ってどんな人?性格を雑草魂など15のキーワードで読み解く

2018年シーズンから巨人に復帰した上原浩治投手。
上原投手は「雑草魂」というくらいに若い頃から苦労してきた人で
僕の好きなピッチャーの1人です。

苦労した時代の教訓を背負って、上原投手は前例のないことに挑戦したり、
周りを気にせず正直なことを発言したりと
他の選手とは違う面がたくさんあるのも魅力の選手です。

 

陽気な性格も上原投手の特徴の一つです。
大阪出身の関西人で突拍子もないことをしていたり、破天荒な面も。

そんな上原投手はどんな人なのでしょうか。
今回はその人柄を15のキーワードで読み解いていきましょう。

 

 

「背番号19」と「雑草魂」の原点は浪人時代にあった!


出典:「https://cyclestyle.net/」
上原投手といえば「雑草魂」という言葉がよく使われますが
上原投手は若い頃からかなり苦労してきています。

体育の教師を目指して大阪体育大学に入ろうとしていましたが合格に届かず。
1年間の浪人期間を経験しています。

その浪人期間には予備校やトレーニングはもちろん、
夜間には実家のために道路工事等のアルバイトをしていたり
この1年間は「人生でこれほど燃えた1年間はない」と話しています。

 

上原投手本人はこの期間は本当に辛かったようで、
背番号「19」をずっとつけていたのは、この19歳の頃を忘れないようにとの思いがあるようです。

上原投手は巨人入団当初から「雑草魂」という言葉を使っていますが、
その原点は若い頃の苦労からきているのでしょう。

 

巨人に入る前に大谷翔平選手所属の「エンゼルス」も獲得に乗り出していた⁈


出典:「http://www.afpbb.com/」

上原投手といえば大学を卒業後に巨人で10年間活躍しましたが、
実は当時、アナハイム・エンゼルス(現在のロサンゼルス・エンゼルス)と読売ジャイアンツの2択で悩んでいたようです。

エンゼルスといえば2018年からあの大谷翔平選手がメジャー挑戦で選んだチーム。

 

上原投手は父親が巨人ファンで、巨人がそこから勧誘をして巨人入りを決めましたが、
上原投手本人は当時はどちらか迷っていたようです。

今でこそたくさんの日本人選手がメジャーへ進んでいますが、
1999年にいきなりメジャーへ進むことも選択肢にあったという上原投手。

球団が認めなかったためなくなりましたが、2005年にはポスティングシステムを使ってメジャー挑戦をジャイアンツの球団に希望しています。

なので、もともとメジャー挑戦の意思は上原投手の中であったということですね。

 

勝負ができない悔しさで涙を拭うほどの「負けず嫌い」


出典:「http://sp.baseball.findfriends.jp/」
1999年10月5日、上原投手がルーキーだった頃です。
優勝争いが終わって、チームメイトであるあの松井秀喜さんとヤクルトのペタジーニ選手がホームラン争いをしていました。

松井さんのホームラン数が42本で、
ペタジーニ選手とは1本差でした。

そこでベンチから先発投手だった上原投手への指示は敬遠。

 

ホームラン王を取れるようにとの指示でよくあることです。
ひとつひとつの勝負を大切にしている上原投手はその指示に従ったものの
「敬遠にはやっていい敬遠とやってはいけない敬遠がある」とマウンド上で悔し涙を流しながら
その悔しさからマウンドの土を蹴り上げていました。

上原投手は絶対にペタジーニ選手を抑える自信があったと思います。
それでも敬遠で勝負ができなかったのは、負けず嫌いの上原投手にとって苦しい場面だったことには間違いないでしょう。

このシーンを見るたび、僕も職場で上司の指示だからと正しくないことをせざるを得なかった時を思い出します。
自分が正しいと思うことが何かの事情でこんなにもあっさりとできなくなるのは辛いことですよね。

 

「ポスティング」をめぐって球団と交渉


出典:「http://www.shikoku-np.co.jp/」
6年間で85勝をして巨人のエースになった上原投手ですが、
2005年の契約交渉のときには球団側に、ポスティングシステムを使ってメジャー挑戦をしたいと伝えています。

プロ野球選手がメジャー挑戦をするには「ポスティングシステム」と「FA宣言」がありますが、
「FA制度」には最短でも9年はかかるため、この時期でのメジャー挑戦はポスティングシステムを使うしかありません。

上原投手は1年間浪人もしているので、9年かかってしまうと33歳になってしまいます。
野球選手の全盛期は25歳〜28歳ぐらいなので、33歳というと衰えていく中での挑戦ということになるかもしれないので上原投手はできるだけ早くメジャーへ行きたかったのではないでしょうか。

 

でも、巨人側はポスティングシステムを拒否しました。
ポスティングシステムは球団側が認めないと使えない制度なので、
これで上原投手がメジャー挑戦する方法は「FA制度」のみ。

上原投手は契約の違約金を払うということや年俸の減額も申し出て球団と交渉。
球団側は全く応じずに契約の交渉はキャンプに入ってもまとまらないという状況にまで発展してしまったのです。

ここまでの状況になってしまうと上原投手と巨人の球団側との仲が心配ですし、
2018年から上原投手が巨人に復帰したのは、ファンとしてはホッとしますよね。

 

2006年WBCで再確認した「国際試合の強さ」


出典:「https://www.nikkansports.com/」

上原投手といえば、「国際試合で負けない」ということがあります。
大学時代から国際試合で25試合先発しているのですが、
12勝していて、負けたことがないのです。

そういうプレッシャーを感じる試合を「楽しい」と言えてしまうほどメンタルが強いので
国際試合では決まって大一番の試合で先発を任されてきました。

 

2006年に行われた第1回のWBC(ワールドベースボールクラシック)では
上原投手はあの松坂大輔投手とダブルエースとして臨みました。

そしてこの大会で日本チームの大一番の試合は準決勝での韓国戦。
これまで苦手にしていたチームとの試合で先発を任されたのです。

この試合で上原投手は期待通りに7回を無失点に抑えてチームは勝利。
ここを乗り越えた日本チームは次の試合でも勝って優勝しました。

韓国とは前の試合で負けており、この試合は当時テレビで観ていても異様な緊張感に包まれていました。
その中でもいつもの早いテンポでぽんぽん投げ込んでいたので、やっぱりメンタルの強さは「異常」なのではないでしょうか。

 

盟友でライバルの「高橋由伸」


出典:「http://www.sankei.com/」

上原浩治投手と現巨人の高橋由伸は同学年。
ジャイアンツに入ったのは上原投手が大学受験で1年の浪人生活の分、
1年差がありますが、入団当時からの上原投手曰くライバルであり盟友の2人。

ずっとお互いのプレーを意識してきているという2人は
今では東日本大震災があったときに東北でも一緒に復興支援で野球教室に参加したり、
それぞれが開催している少年野球の上原浩治杯と高橋由伸杯の優勝チーム同士で「上原浩治杯×高橋由伸杯 ドリームマッチ」というイベントを開いてトークライブとかのイベントをやったり。

 

互いに切磋琢磨してきた2人ですが、
今では監督と選手になっています。

 

念願のメジャー挑戦!オリオールズへ移籍


出典:「https://number.bunshun.jp/」

球団側にメジャー挑戦の意思を伝えてから4年後の2009年にFA権を獲得。
念願のメジャー挑戦が実現しました。

しかし1年目に怪我でチームを離脱。
そこから怪我に泣かされ、2年目からはリリーフに転向していきますが、
そこからクローザーとして活躍していくことになります。

上原投手は巨人時代の最終年にクローザーで1年間活躍していたので
その経験も活きたのかもしれませんね。

 

1年目から怪我に悩まされる


出典:「https://full-count.jp/」

念願のメジャーに移籍した上原投手ですが、
早々に怪我に悩まされることになります。

メジャーでは先発投手は投げる間隔が短く怪我をしやすい環境です。
日本では中6日が普通ですが、メジャーでは中5日や中4日が普通で
5人の先発ピッチャーで回すのが一般的です。

それにアメリカは広くて移動距離が長くて時差があったり
疲労が溜まりやすいと言われます。

 

そんな環境のせいもあるかもしれません。
上原投手は1年目から怪我に悩まされることになります。

特に1年目と2年目は怪我が続いてしまい、
この時期はかなり苦しい時期だったのではないでしょうか。

 

「ひげ」と「もみあげ」で「もみあげ通信」の番組まで


出典:「http://www.koji-uehara.net/」

オリオールズ時代2年目の2010年から全くイメージが変わります。
上原投手は「ひげ」と「もみあげ」を蓄えるように。

上原投手は怪我が重なっていた時期でその流れを変えようとしていたようです。

メジャーではひげを生やす選手が多いので選手の中で見ているとそんなに違和感はないですが、
それまでの上原投手からは印象がかなり変わったので今見ても見慣れないです。

 

当時は注目を集めていて、ルパン三世に似ているとも言われたり、
「もみあげ通信」という番組のコーナーまでできてしまっています。

しかし、伸ばしているうちに「自分の方向性がわからなくなってしまった」
と2013年には全て剃ってしまいました。

メジャー時代の上原投手の全盛期は2013年からのレッドソックス時代ですが、
レッドソックスの選手は上原投手が移籍してくるときまでヒゲを生やしていた姿を知らず、
記者から聞いてびっくりした人もいたぐらいです。

 

「ハイタッチ」が上原流コミュニケーション


出典:「https://www.daily.co.jp/」

陽気な性格の上原投手。
メジャー時代からやっている上原流コミュニケーションのハイタッチは、
上原投手がマウンドで熱くなりすぎてベンチに戻ってきたときのハイタッチが強すぎる
というものです。

メジャー時代から話題を集めていた上原投手のハイタッチが強すぎる件についてですが、
それは巨人に復帰してからも同じように続いているようです。

 

だいたい1人は強く叩かれる選手がいるみたいですが、
巨人では上原投手と誕生日も同じで仲の良い澤村投手がめちゃ叩かれています。

「もっともっと明るくしてもいいんじゃないかなと思う」と上原投手が話すように
上原投手が3アウト取って帰ってくるとベンチの空気がどっと明るくなります。

 

レッドソックスでワールドチャンピオンになる


出典:「https://www.pressherald.com/」

メジャー3球団目で名門のレッドソックスに移籍。
クローザーを務めてワールドチャンピオンになりました。

さらにそれだけでなく、
ワールドシリーズの前のリーグ優勝決定シリーズでは大活躍でMVPを獲得。
この年のレッドソックスの主役の1人でした。

 

このころの上原投手が9回に出てくると
ファンが総立ちで拍手で出迎えて大歓声。
登場のシーンがかっこいいと日本でも話題にもなりました。

かなり現地のファンからも愛されていたようで
その人柄についてのテレビの特集もされていたほどです。

 

活躍を続けながらも、身体はポロポロだった⁈


出典:「https://www.huffingtonpost.jp/」

メジャーでワールドチャンピオンにもなった上原投手。
華々しい選手ように見えますが、2014年8月に放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」では
実は身体は悲鳴をあげていてだましだましプレーしている、ということを告白しています。

メジャーは移動距離が長いため、東海岸と西海岸を頻繁に行き来したり、しょっちゅうチームの移籍もあるので
子供のことも考えてか上原投手は単身赴任でワンルームの部屋にホテル暮らしをしていることも伝えられているのです。

そのとき上原投手は、メジャーリーガーでもサラリーマンと同じで毎日ホテルと球場を車で往復する生活。
基本的には球場で日本人シェフが作ってくれるものを食べて、
お弁当としても持って帰って、ビールと一緒にテレビを見ながらホテルで食べている様子が伝えられています。

 

上原投手が務めていたクローザーは精神的な負担が大きく、疲労が溜まりやすいポジションです。

メジャーへ行って、報酬が一桁変わったり、結果を出してワールドシリーズも経験してはいますが、
40歳も過ぎて身体は悲鳴をあげていたようです。

 

驚異的な「K/BB」の数値の裏側


出典:「https://cyclestyle.net/」

「K/BB」というメジャーリーグでピッチャーの能力を評価する基準があります。
Kは三振、BBは与えたフォアボールの数をそれぞれ表しており、
なるべく多く三振を取れて、フォアボールが少ないのが良いとされています。

それが上原投手は異常でメジャー選手の中でもダントツで良かったです。

 

上原投手は「怯えたら、打たれる」と話しています。

上原投手の所属していたレッドソックスはあの田中将大投手が所属しているヤンキースと同じ地区で
しょっちゅう試合をしています。

スターぞろいのメジャーリーグの中でもヤンキースは特にタイトルを獲るような選手が揃っているので
そんな選手たちと勝負するのは正直怖いと思います。

 

だから上原投手は一番早く球場に来てトレーニング等の準備をして、
試合後は一番遅くまで残って調整をしていると言っています。
それだけやっているから自分のボールを信じて真っ向勝負を挑むと決めている、
と話しており、だからフォアボールを出さないのではないでしょうか。

 

引退も近い年齢。息子にもう一度野球をする姿を!


出典:「http://number.bunshun.jp/」

球場の練習では息子と一緒に姿を見せていた上原投手。
レッドソックスでワールドチャンピオンになった時にも
英語でインタビューに答えている姿が放送されていました。

しかしメジャー10年目を目前にした2018年は
42歳という年齢のせいもあり、なかなかオファーが来ませんでした。

 

上原投手はプロ野球10年・メジャー10年を目標にしていましたが、
このオファーがない時期には、息子にもう一度野球をする姿を見せたかったという思いもあったようです。

 

ジャイアンツに復帰!


出典:「https://www.pinterest.co.uk/」

「メジャーからオファーがなければ引退」と話していた上原投手ですが、
2018年3月に急遽話しがまとまり、巨人に復帰するということが決まりました。

メジャーでオファーがない中で日本のプロ野球も視野に入れ始めた時に
すぐ巨人から熱いオファーをもらったというのが理由のようです。

上原投手は2004年にメジャー移籍を巡って球団と確執があると言われていましたが、
GMが社外から来た鹿取さんに変わり、雰囲気もだいぶ変わったのかもしれませんね。

 

上原投手もすでに43歳で引退も近いと思うので、これが最後のチームになるのではないでしょうか。
今年1年怪我なく、元気な姿を見せて欲しいですね。

 

 

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