スライダー投手から変貌した現在の中後悠平の野球留学は新しい道になる!?
3年前に「ブロ野球戦力外通告 クビを宣告された男たち」で途方に暮れていた姿を思い出しました。
中後悠平投手がDeNAベイスターズに入団することが発表されました。
それから程なくマイナーに行くというニュースを見ましたが、最初はプロ野球で全く通用しなかったのにメジャー挑戦は無謀だと思いました。
しかし、中後投手はメジャーリーグを目指していたようですが、結果的には2年間の修行期間ということになったのかもしれません。
しかも途方に暮れていてあとがないときにメジャー球団からのオファーが届いたので、語学の準備もする時間がなかったのではないでしょうか。
マイナーリーグの選手なので通訳を連れて行く余裕もなかったかもしれません。
そしてこの中後投手が開いた道はこれからたくさんの選手が通って行くのかもしれません。
今回は、その新しく開かれた道について見ていきましょう。
過酷だった2年間の野球留学
中後投手はマイナーリーグの環境は過酷だったといいます。
ユニフォームは支給されず、来た人から持って行くし、破れているものもあったそうです。
移動は長く、バスで13時間移動とかも。
そんな環境で3年間やったということはかなり苦労したのではないでしょうか。
プロ野球は天才が集まるところなのでその中でどのように生きていくかというのは、とても厳しい世界だと思います。
それを中後投手はもう一度アメリカへの野球留学で武器を磨いてきました。
球種を見たとき、3年前と変わっていたスライダーとストレートで勝負するピッチャーだったのに、カットボールとツーシームとチェンジアップで技巧派と言われるピッチャーになっているとのことで、メジャー流の考え方を取り入れているのかもしれません。
中後投手はこの球種の変化について、アメリカで色々なことを聞いた、と語っており、”動くボールの本場”で最先端の技術を見て学ぼうと頑張っていたのではないでしょうか。
そして、これは色々な分野の留学に似ていると思います。
日本で遅れている分野では最先端の国へ行って新しいことを学んで持ち帰ってくるというのは留学であることですが、これは野球にも当てはまるのかもしれません。
プロ野球を戦力外になった時の新しい道
出典:「http://www.baystars.co.jp/」
中後投手はスタイルを変えて、メジャーで主流となっている”動くボール”で勝負するピッチャーになっています。
カットボールやツーシームのような少し変化するボールでバットの芯を外して打ち取る、という戦略です。
この考え方は日本ではまだ遅れていて、動くボールではなくストレートを磨くべき、という考え方がまだまだ多数派です。
これに巨人の菅野投手をはじめとする何人かの選手がメジャーに見習うべきということを話しています。
それを中後投手は最先端のメジャーへ行って色々な人に聞いて持って帰ってきてしまっています。
しかし、中後投手の前に日本ハムで活躍する村田透投手が同じ道を通っています。
村田投手も巨人を戦力外通告となってからアメリカのマイナーリーグへ渡って、経験を積んでプロ野球に帰ってきています。
そして今、日本ハムで2年目でローテーションを守って活躍。クビになった巨人からも勝ち星をあげています。
この30歳が近くなってからの野球留学は新しい道となりつつあります。
それに、これはメジャーで挫けた選手がプロ野球にやってくるのとも似ています。
2017年まで巨人で活躍したマイコラス投手もメジャーで活躍できずにプロ野球にやってきて、経験を積んで2018年にはメジャーへ帰って活躍しています。
この、環境を変えて武器を磨いてまた新しい武器を身につけて帰っていく、という道は、プロ野球で活躍するためのただ一つの道を変えて、何度でもチャンスがあるということを見せてくれる良いパターンとなっていくのではないでしょうか。
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