高橋周平の嫁&子供と7つの物語| 覚醒のきっかけはセカンド守備!?
出典:「http://column.sp.baseball.findfriends.jp/」
高橋周平選手が語った “覚醒の理由” とは、一体どういうものだったのでしょうか。
そこにはコーチの打診から始めた “セカンド守備” で培ったある力がありました。
チームメイトから「奥さんの前ではデレデレ」と言われていた高橋選手。
そのプロポーズとはどういうものだったのでしょうか。2018年11月には第一子となる女の子も誕生。
今回は、高橋周平選手の”覚醒の理由”を『7つの物語』と題してお届けします。
目次
プロポーズはフォークボール!?高橋周平の結婚生活とは
高橋周平選手が入籍したのは、2017年1月3日。
その前に寮を退寮して、奥さんと一緒にエディオンで家電を揃えて二人で新婚生活を始めたのだといいます。
そんな高橋選手が語っていた”結婚して良かったこと”は、毎日ご飯を作ってくれること。
家電を揃えた際に高橋選手が「美味しい米を食べたいと思って」と唯一自分で決めたというのが炊飯器。
プロ野球選手は身体作りが大変ということは言われますが、やはりここは大事なところなのだそう。
以前、ある番組で高橋選手がプロポーズについて聞かれていたシーンがありました。
その答えは、「自分でも何を言っているのかわからなかった」というもの。
高橋選手は「思い出すと笑えてくる」と苦笑いで「フォークボールを投げている感じのプロポーズ」だったのだと振り返っていました。
「大急ぎで帰った」高橋周平の子供が生まれた日
そんな高橋選手には今、ハマっていることがあるのだと言います。
それは、”ゴルフ”。ゴルフの動画を見ることがマイブームになっているのだそう。
しかし、スコアは現在100ぐらい。今は上達している時期で、スコアが上がっていくこの時期が一番楽しいのだと話していました。
そんな高橋選手が参加した選手会ゴルフの日。
3人目の家族が誕生したのが、その2018年11月26日のことでした。
その日はゴルフの会場から大急ぎで帰ったのだという高橋選手。
その日から1週間がたった頃のラジオ番組の出演で、高橋選手は「可愛いです」と言いながらもまだパパになった実感がわかないのだと話していました。
パパになった高橋周平の “育児” とは
それでも生まれたのがシーズンオフだったというのは、家族にとって良い時期だったのかもしれません。
高橋選手はオムツを替えたりお風呂に入れたりしているのだそうで、育児にも積極的に参加しているのだといいます。
1月末には春季キャンプでドラゴンズは沖縄に滞在しますし、シーズンが始まると遠征が多くて自宅にいられる日はそんなに多くはありません。
シーズン中は子供と一緒にいられる時間は限られている中ですが、高橋選手は「できるときにできることをやる」のだと育児参加について話していました。
高橋周平が語った覚醒の理由
ここ2年で周りの環境が大きく変わった高橋選手。
2019年シーズンが始まると、6月に川上哲治さんやイチローさんの持つ月間8回の猛打賞記録に並び、才能が覚醒。
4月下旬は全く打てていなかった姿がまるで別人のようでした。
絶不腸の4月に高橋選手は「なんとかしないといけない」という焦りがあったのだと言っていましたが、そこには覚醒するきっかけになった “ある1球” があったのだそう。それは、5月5日のスワローズ戦第2打席でのこと。
インコースのストレートを引っ張って特大のファール。
「それまでインコースは苦手だった」という高橋選手でしたが、その1球でボールを捉えるポイントは”そこ”なんだと気づいたのだといいます。
そこからバッティングフォームを改造。構えるときから重心を前に出して、ボールを前で捉えるように打ち方を変えたのだという高橋選手。
そこから1ヶ月で8度の猛打賞という別人に成長してしまいました。
そこに気づけたのは4月の大不振があったからなのかもしれません。
才能が開花する前には必ず、”うまくいかない時間” があるもので、そういう時期があるからこそ一生懸命考えてこの1球で気づくことができたのだと思います。
しかし、覚醒のきっかけはそこだけではなかったのかもしれません。
キャプテン就任のきっかけに!?高橋周平の視野を広げたコーチの打診
高橋選手が変わったのはバッティングだけではなかったのかもしれません。
最近の高橋選手のインタビューを聞いていると、プレー1つ1つを深く考えているのが伝わってくるように感じます。
これだけ変わったのはキャプテンに就任したからでしょうか。
それだけではなく、2018年にあった守備位置変更のエピソードがあったからかもしれません。
それまではサードしか守ってこなかった高橋選手。
2018年に渡辺コーチから「セカンドにチャレンジしてみないか」という打診があったのだといいます。
そのコーチの意図は「野球をもっと知ってほしい」ということ。
高橋選手はその挑戦によって野球の見え方が広がったのだと話していました。
セカンドは全てのプレーに繋がるポジションで、より考えて動くことが求められます。
「セカンドは大変だった」と振り返っていた高橋選手ですが、こういう取り組みがバッティングの改善点を探る思考力に繋がっていったのかもしれません。
「これだけやったから大丈夫」母親が語る高橋周平の勝負強さ
そんな高橋選手には元から持っている強みがあるのだと、高橋選手の母親が話していたことがありました。
その強みとは、”勝負強い”こと。
けっして天才ではないのだけれど、みんなが注目が集まる”ここ”という時に本来以上の力を出してしまう。
それには高橋選手本人も心がけていることがあるのだと言います。
それは、「これだけやったから大丈夫」と思えるように準備をすること。
オフシーズンも計画的に練習を進めて、「周りの人がやっていないときにも自分自身が納得するまでやる」ということを大事にしているのだと話していました。
「出れるんだったら、出てみたい」日本を代表する選手への道のり
出典:「https://www.city.kofu.yamanashi.jp/」
好調をキープしている高橋選手。
過去を振り返ってみると、東海大甲府にいた高校時代にアジア各国のチームと戦うアジアAAAに出場。
甲子園にも行けなかったにも関わらず、日本代表に選ばれて大会のMVPを獲得するという活躍。
それによってチームは3年ぶりのアジア制覇を果たしています。
先日、高橋選手のあるインタビューで東京オリンピックについて質問されていたことがありました。
高橋選手が答えていたのは「出れるんだったら、出てみたい」
一つずつ階段を登って、日本を代表する選手に育っていくのが楽しみです。
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