今の近況&右肩怪我の意外な理由!? 田中正義が学んだ7つの教訓物語


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田中正義投手の度重なる右肩痛の原因だった意外なこととは。
苦境の連続だったからこそ、それを乗り越えるためにいろいろなことに取り組んでこれたのかもしれません。
そのときに母・鈴香さんが田中投手にしてくれたこととは、一体どういうことだったのでしょうか。

 

田中投手はその起伏の影しい人生の中で、学んだ “ある教訓” とは。
それは、iPS細胞の山中伸弥さんとも同じもので、起伏の激しい人生を歩んできた人がよく口にする言葉なのかもしれません。

今回は、田中正義投手の起伏の激しい人生の中で学んできたことを、『7つの教訓物語』と題してお届けします。

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田中正義の幼少時代&野球との出会いとは


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1994年7月19日、神奈川県横浜市に4人兄弟の次男として生まれた田中正義投手。
兄・優大さんの影響で野球を始めたのは、小学1年生のときでした。

 

田中投手は野球を始めた時からプロになりたいという目標をもってどんどん上達。小学6年生でチームのエースに。
同時に、その体格の成長も周りの子より早かったのが特徴でした。

 

中学1年生の時に160センチだった身長は3年生で180センチに。
身体の成長に合わせて投げるボールも向上して、中学生で140キロを投げるまでになっていたのです。
しかし、これが後々の田中正義投手を苦しめることになったのかもしれません。

 

「もう一度ピッチャーをやりたい」田中正義の高校&大学時代の苦闘とは


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中学で頭角を現した田中投手は、強豪・創価高校へ進学。
1年生から背番号1を背負うことになります。

 

しかし、順調に野球エリートの道を進んでいた田中投手ですが、高校1年生の冬に肩の違和感が。
成長段階だった16歳の身体で投げ続けたことで起こった痛みでした。

 

そこで、当時監督だった近藤省三さんは、田中投手が将来的にピッチャーでやっていくことを考えて、肩を酷使しないように外野手への転向を指示。
高校時代は外野手として終えた田中投手ですが、気づけば痛みは治り、田中投手は「もう一度ピッチャーをやりたい」と大学でピッチャーに復帰。
「ピッチャーをやっていないと野球をやっている感じがしない」とまで言っていた田中投手は、念願のピッチャーとして大学時代を過ごすことができたのです。

 

田中投手は、「高校時代に2年間マウンドに立てないという経験をしたからこそ、大学で絶対に花開かせようという気持ちが芽生えた」ということを話していました。
怪我で投げられなかった悔しさも外野手としてプレーした時間も、全ては意味のあるものだということを学んだのだと言っていました。

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ドラフト直前に右肩痛が再発!?怪我のたびに強くなる田中正義


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右肩の痛みも治り、順調に大学野球を進んでいた田中正義投手ですが、ドラフト会議直前のリーグ戦で右肩痛が再発。
無期限での調整を余儀なくされてしまいました。

 

このとき、痛みの原因が肩周辺の筋肉不足による炎症ということがわかった田中投手は、田中将大投手や前田健太投手も信頼するという理学療法士・高村隆さんのもとに週2回通って右肩の筋力強化に努めることになります。

 

ここで、田中投手の身体には大きな特徴があります。
それは、指と腕が長いこと。多くの人は両腕を広げた長さが身長と同じくらいになるそうですが、田中投手の場合は身長が186センチなのに対して両腕を広げると197センチと10センチ以上も長いのです。
なので、ボールを投げるときは大きな遠心力が働いてその力をスピードに変えているのです。

 

しかし、それゆえに大きな負荷が肩にかかってしまったのでしょうか。
そんな田中投手は、それから野球部の練習とは別に週3日トレーニングジムへ通い、足腰や体幹を徹底的に鍛えたのです。

 

「怪我するたびに強くなっている」と話していた田中投手。
怪我のたびに原因を探って対策を立てて、トレーニング。
さらにグレードアップさせて帰ってきているのです。

 

大学時代、田中正義に起こった2つの変化とは


出典:「http://www.japan-baseball.jp/」

怪我での挫折を味わったことで、田中正義投手の身体のケアへのこだわりは凄まじいものになったといいます。
田中投手の部屋には10種類以上のサプリメントが並び、冷蔵庫の中には疲労回復につながるという酸素水がズラリ。
その日の体調に合わせて何を摂取するかを自分で決めているのだそうです。

 

さらに、本棚には食品成分表や筋肉に関する本が。
徹底した食生活の管理で摂取量も計算していると話していました。

 

こういう食事や栄養管理をプロに進んでから始める人は多いです。
しかし、高校や大学時代からこれだけしている人はあまりいないのではないでしょうか。
怪我が重なって苦しい思いをしてきたからこそ、田中投手は早いうちからこういうことまで大事だということに気づいたのだと思います

 

田中正義の母・鈴香さんへの感謝エピソード


出典:「https://athleterecipe.com/」

田中正義投手が苦しい中でも何度も怪我を乗り越えてプロ野球の世界へ進むことができた裏には、母・鈴香さんの支えがあります。
高校1年生の頃に右肩痛が発症したときには、鈴香さんが色々な病院へ電話してくれたり連れて行ってくれたのでした。

 

田中投手の大学時代には、鈴香さんに頼んで栄養バランスのとれた食事を冷凍パックして送ってもらっていました。
週に一度、鈴香さんが寮まで一週間分の料理を届けてくれたのです。

 

こういう辛いときを支えてくれる人がいると、とても助かるものだと思います。
田中正義投手はいつも母への感謝を何度も口にしていて、その感謝の気持ちがわかります。

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田中正義のリラックスできる意外な趣味とは


出典:「https://news.yahoo.co.jp/」

田中正義投手は一見、生真面目な性格に見えますが、意外なリラックスできる趣味があります。
それは、本を読むこと。

ずっと野球漬けの生活はストレスにもなります。
そんなときに、本を読んでいると本の内容に意識が行くので、野球から離れられる時間になってすごくリラックスできるのだそうです。

 

若貴寮に入寮するときもシャーロックホームズシリーズを持参。
そのときは姉がシリーズを買い揃えてくれたのだと言っていました。

 

近況は苦しい時期が続く!?田中正義の “人生の教訓” とは


出典:「https://www.nikkansports.com/」

ホークスへ入団してからも、田中投手は再び右肩の痛みに苦しめられることに。
一年目は右肩の不調で開幕前に離脱してからリハビリの日々。
ほとんど試合で投げられずにシーズンが終わってしまいました。

 

それから何かを変えようと、1年目のオフには和田毅投手の自主トレに弟子入り。
2年目にようやく迎える事ができた1軍初登板を終えたとき、田中投手は「怪我をしなかったことが良かった」と話していました。

 

それからも2018年は中継ぎで10試合に登板した田中投手でしたが、思うようにはいかず。
苦しい時期が続いています。

 

そんな怪我に悩まされてきた田中正義投手が話していた、人生の教訓があります。
それは、『人間万事塞翁が馬』
人生のおける幸不幸は予測し難く、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないということ、なのだそうです。

 

「ドラフト一位でプロへ進んだけれど、もしかしたらこれが上手くいかないかもしれない」と話していた田中投手。
怪我に何度も苦しんできた人だからこそ言えることなのかもしれません。

 

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