父&母と鍛えた英語力!? ケムナブラッド誠の性格がわかる7つの物語
「日常会話レベルであれば」と英語が堪能なケムナ誠投手。
その理由には、母・陽子さんと父・バナードさんとの自宅ルールがありました。
その両親の意外な職業とは。
宮崎県日南市出身のケムナ誠投手は、子供の頃からいつもカープのキャンプと一緒でした。
カープでおなじみの “あのお店” とも深い縁があったのです。
今回は、ケムナブラッド誠投手の性格を『7つの物語』と題してお届けします。
目次
父・バナードさんとケムナブラッド誠の大きな夢とは
出典:「https://www.oita-press.co.jp/」
ケムナ誠投手の父・ケムナ・ブルース・バナードさんは、アメリカ・アイオワ州出身のシカゴ育ち。
野球経験者でもあり、高校時代にはケムナ誠投手と同じピッチャーとしてメジャーリーグのスカウトから注目されていたといいます。
そんな父を持つケムナ誠投手が “大きな夢” と語っていたのは、「メジャーリーガーになって家族を招待したい」ということ。
ハワイ生まれの日本育ち。3歳の頃に日本に移住したケムナ誠投手ですが、父のいたアメリカでもプレーしたいという目標を持っています。
バナードさんは野球以外にもバスケットボールや水泳など色々なスポーツをしていた人。
そんな父の影響もあったのか、ケムナ誠投手が最初に熱中していたのは野球ではなく、他のスポーツでした。
プロになるのが夢だった!?ケムナブラッド誠が熱中していたスポーツとは
高校時代、ケムナ誠投手が1年生の頃に入った部活は “サーフィン部”。
1年生の冬から野球部に入っています。
それまで、「プロのサーファーになることが夢だった」というケムナ誠投手。
野球は一時期やっていたとは言っていましたが、高校の途中から野球部へ変わったのはなぜだったのでしょうか。
それには、今ではケムナ誠投手が入団したカープの存在がありました。
野球にハマった理由はこれ!カープの日南キャンプと一緒にあった、ケムナブラッド誠の高校時代
ケムナ誠投手の地元・宮崎県日南市はカープのキャンプ地。
高校も地元の日南高校に通っていたケムナ誠投手にとって、カープの日南キャンプはずっと身近にあったもの。
毎年、カープ選手たちが天福球場へ訪れていたので、ケムナ誠投手は小さい頃からカープのキャンプを見学に行っていたといいます。
それもケムナ誠投手にとっては、今はドジャースで活躍する前田健太投手が家の前を通っていたというほどの距離の近さ。
ケムナ誠投手の思い出に残ってるのは、堂林選手にサインをもらって一緒に写真を撮ってもらったこと。
このキャンプ見学で、たくさんの夢を与えてもらったのだそうです。
カープキャンプでおなじみの “直ちゃんラーメン” とケムナブラッド誠の関係とは
出典:「https://www.kankou-nichinan.jp/t」
「子供の頃から見て来たので全部知っています」と話すケムナ誠投手。
カープ日南キャンプに精通しているのは、それだけではありません。
ケムナ誠投手は、カープの日南キャンプで毎年お昼ご飯を出している “直ちゃんラーメン” で1ヶ月半の間、アルバイトをしていたことが。
日南高校時代、卒業前に宅習期間というものがあって、その時に大学へ入学するまでの間を使って働いていたのだそうです。
ホールでお客さんに注文を取ったり、ラーメン出したり。
裏のキッチンも見ていたので、あの味の秘訣みたいなものも見ていたのだと言っていました。
父&母と鍛えた英語力!?ケムナブラッド誠の実家
「日常会話レベルであれば普通に喋れます」と語るケムナ誠投手。
“家族での会話は英語だけ” というルールがあったのだそうです。
もし日本語で喋っているのが見つかったら、1ヶ月テレビ禁止などのペナルティが。
それほどケムナ家が英語に力を入れるのには理由があります。
それは、ケムナ誠投手の母・陽子さんとバナードさんが、”日南英会話” という英会話教室を運営しているため。
ケムナ投手には弟のケムナ・バナード・敬太さんがいますが、兄弟で授業を受けたりしていたこともあったのだそうです。
「時々、親とも電話で話すけれど、その時も絶対に英語で話している」というケムナ誠投手。
カープにも英語圏の選手はたくさんいるので、そういう選手たちと言葉を交わせるというのは大きなメリットになります。
弟の敬太さんはバスケットボール選手。2人ともそれぞれの世界で英語力が活きてきているのかもしれません。
ケムナブラッド誠が怪我を意識する理由とは
出典:「https://www.sponichi.co.jp/」
以前、ケムナ誠投手が1年目の目標を聞かれたとき、「怪我なく一年」と答えていたことがありました。
「開幕一軍」など目標にする選手が多い中、ケムナ誠投手の怪我への意識の高さがわかります。
その理由は、ケムナ誠投手の大学時代にあるのかもしれません。
大学三年の春、肘を疲労骨折した経験があるのです。
それからは「ゆっくりとした調整を行うことを心がけている」と言っていたケムナ誠投手。
プロ野球のピッチャーに中には、怪我がきっかけで選手生命が縮んでしまう人は少なくないです。
怪我への意識の高さは、ケムナ誠投手の強みになっていくのではないでしょうか。
「サーフィンがしたい」ケムナブラッド誠にとっての帰省とは
カープは、毎年の春季キャンプで日南市を訪れます。
なので、ケムナ誠投手にとっては地元に帰省することのできる機会でもあります。
1年目の春季キャンプ中には、すでに友人の誘いがあったというケムナ誠投手。
しかし、「キャンプなのできちんと断らないといけない」ということを話していました。
「まだまだ足りないものがあって練習しないといけない」と断っているのだそうです。
しかし、それだけ強い意思を持ってキャンプに臨んでいても、日南に帰ると「サーフィンがしたい」という気持ちが出てくるというケムナ投手。
そんなケムナ誠投手ですが、プロ入り前に父・バナードさんが、ケムナ投手が野球に専念するために2枚のサーフボードを売ってしまったのだと言っていました。
それくらいの意識を持たないとプロ野球ではやっていけないのかもしれません。
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