妻と家族へ恩返し!? 楽天・岸孝之の性格がわかる7つのエピソード
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岸孝之投手の驚きの “ぎっくり腰エピソード” とは。
すごいピッチャーで尊敬されるのだけれど、どこか愛らしいキャラクターの持ち主。
自分から話しかけていく方ではないという岸投手ですが、これだけ周りがついてくる理由はどういうところにあるのでしょうか。
大学時代までの22年間を過ごした仙台。そこへ帰って来た岸投手。
FA宣言をするのは、気持ち的にも難しいところがあったのではないでしょうか。
それでも、こんなに穏やかな性格の岸投手が育ててもらったチームを去って、仙台へ戻った理由とは一体どういうものだったのでしょうか。
今回は、そんな岸孝之投手の性格を『7つの物語』と題して紐解いていきます。
目次
愛らしい性格!?岸孝之の驚きの天然エピソード
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岸孝之投手の性格とは、どういうものでしょうか。
チームメイトからよく言われているのが、”天然” というキーワード。
それがわかるエピソードがあります。
それは、岸投手が楽天へFA移籍した年の春季キャンプでのこと。
ホテルにいた岸投手は、カギを部屋の中に置いたまま部屋を出てしまい、ドアがロックされてしまったのだといいます。
このとき、岸投手は “エレベーターが来ていて、急いでいた” という理由を話していました。
それ以外にも、部屋の中で、岸投手が探していたのは洗濯物。
岸投手は「どこにあるの?」と言っていたら、それを見ていたチームメイトが目の前にあることを教えていたのだそうです。
さらに、岸投手はリラックス時間にいつも使っているというのが、タブレット。
春季キャンプが行われる石垣島にも持って行こうとしていたという岸投手でしたが、忘れてしまったのだそうです。
石垣島から家族に連絡をして、あとから送ってもらったのだと笑っていました。
岸孝之が語ったギックリ腰エピソードとは
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そんな岸投手の “マイペースな性格” がわかるエピソードがあります。
それは、2017年シーズンの、岸投手にとってホーム初登板を控えた前日のこと。
お手洗いの個室へ入ったという岸投手は、カギをかけたかわからなくなって、座ったまま手を伸ばして確認したのだといいます。
しかし、少し腰を浮かせた姿勢になった瞬間に咳払いがでたという岸投手。
咳払いの衝撃で腰が抜けて、その場で動けなくなってしまったのだそうです。
なんとかホーム初登板を終えた岸投手は、次の週にも。
試合前の練習でマウンドで投げていた岸投手は、いつもの通り、地面に置いてあるロジンを拾おうと腰を曲げた時のこと。
腰がギックリとなってしまい、試合15分前に先発を回避。
ピッチングコーチがベンチ裏に血相を変えて走って行ったのだといいます。
緊急で先発投手が戸村投手に変更になった試合を覚えているファンの方もいるのではないでしょうか。
それから岸投手の練習メニューに追加されたというのが、『ロジンとり』というメニュー。
それまで腰を曲げずにロジンを手にとっていた岸投手は、きちんと膝を曲げてロジンをとるようになったのだそうです。
チームを変えた!?憧れの人からわかる岸孝之の性格とは
ここで、岸投手がずっと憧れてきたという選手がいます。
それは、西武ライオンズで長い間活躍をした西口文也さん。
引退までに182勝もした大エースです。
西口さんは現役時代から口数少なく、背中でチームメイトを引っ張った人。
岸投手は自身のプレースタイルが西口さんに近いということもあって、その背中を追っていたのだといいます。
西口さんの引退登板の日には、2軍のグラウンドまで駆けつけたほどの憧れでした。
楽天へ移籍した今でも、自分から話しかけて行くタイプではないと話す岸投手。
背中で引っ張っていけたらということを語っていて、すでにチームの空気を変えるほどの影響力を持っているのだと言われています。
ハワイからもフェイスタイムで!?岸孝之の妻と家族の仲の良さ
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岸投手のインタビューを見ていると、あまり家族のことを語らない姿勢が見られます。
自宅での奥さんとの生活の話になると、「野球の話しましょう」と笑っている岸投手を見たこともあります。
そんな岸投手が結婚したのは、2010年1月のことでした。
その相手は一つ年上の穏やかな人。岸投手も穏やかな人ですが、奥さんはもっと穏やかなのだそうです。
奥さんは料理も栄養のことを勉強して一生懸命に作ってくれるのだそうで、当時偏食気味だった岸投手の食生活を改善したほどの腕前。
2014年のオフには第二子も誕生しましたが、家族はとても仲が良いのだといいます。
プロ野球選手は遠征することも多いですし、仙台に拠点を置く岸投手は遠征の移動距離も長いです。
それでもオフの時間は練習をしつつも子供と遊ぶ時間はきちんととっているのだそうで、オフの自主トレでハワイへ行っていたときも、家族とはフェイスタイムで連絡をとっていたのだそうです。
(田中将大投手と里田まいさんのニューヨーク生活がわかる記事はこちらから読めます。)
岸孝之の仙台にある “お気に入りの場所” とは
岸孝之投手が仙台で暮らしていたのは、大学4年生までの22年間。
大学時代には、行きつけのラーメン店があって、今でも通っているのだと話していました。
そのラーメン店とは、『仙台っ子ラーメン』というお店。
大学時代には、仙台っ子ラーメンの “泉店” へ通っていたのだという岸投手。
楽天へ移籍してからは泉店は遠くて、仙台駅前店に通っているのだそうです。
僕も大学時代にはキャンパスの近くにラーメン店がいくつもあって、行きつけのラーメンがありましたが、その頃の味って忘れられないものだなあと思います。
仙台っ子ラーメンを調べてみると、スープの味は濃い目、ご飯がお代わり無料という野球部の練習で体力を使った学生のお腹も満たしてくれそうなお店。
僕も大学時代を思い出します。
そんな岸投手はFA宣言で地元へ帰って来ましたが、それでも移籍後には厳しい声も聞かれたり。
『FA権』は一定の期間、そのチームで働いた選手がもらえる権利ではありますが、当然応援しているファンにとっては移籍して欲しくないもの。
プロ野球選手にとってのFA移籍って、会社で働く人にとっての転職のようなものかもしれません。
僕も会社を替えた経験がありますが、同僚からの寂しい声や、自分を育ててくれた上司への恩など、どのように自分や周りの人との気持ちに折り合いをつけるかって難しかったです。岸投手はどういう想いで、地元の仙台へ帰って来たのでしょうか。
岸孝之が心に秘める、仙台への想いとは
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岸投手が生まれ育ったのは、仙台市。名取北高校から東北学院大学を経て、西武ライオンズに入団。
人生のほとんどを過ごした仙台には、友人や家族をはじめとする、応援してくれる人たちがたくさんいるのだといいます。
岸投手が移籍を決断したのは、「成長した姿を見せたり、地元への恩返しをしたいという想い」が理由なのだと言っていました。
家族や友人たち、たくさん知り合いがいる中で投げられるというのは嬉しいということを語っています。
岸投手が語っていた中で印象に残っているのが、「いつ終わるかわからないこの世界で、今、移籍しなかったらどうなる」という発言。
全盛期を終えて、チームとの契約の折り合いがつかなくなった後で地元のチームから声をかけられて移籍するという選手は少なくないです。
そんな中で岸投手は、「まだできる」という自身があるうちに地元へ帰って、活躍している姿を地元の人たちに見せたかったのだといいます。
FAの権利を使えるタイミングは毎年あるわけではありません。
FA権を初めて獲得するのにも、早くても10年近くかかるもの。
それを獲得した岸投手は、「地元に帰ってやれるチャンスはこれが最後になるかもしれない」という想いが決め手になったのだと語っていました。
FA移籍は親孝行!?岸孝之の父親との関係とは
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そして、その地元の人への恩返しというのは、両親への親孝行にもなるのではないでしょうか。
岸投手は、父・孝一さんとはゴルフを一緒にする仲なのだと話していたことがありました。
岸投手は以前、納会ゴルフでスコア『78』というプロ野球選手の中でもトップクラスの数字を出していたほどの腕前。
孝一さんのゴルフもかなり上手なのだそうで、岸投手は「負けないように僕も練習しています」と言っていました。
地元に帰った今では、休日にちょっと実家へ帰るということもできる距離でもあります。
孝一さんは七十七銀行野球部の監督を務めていた人で、岸投手がプロ野球で活躍しているのも特別な想いで見ている人なのかもしれません。
そんな父も、岸投手が地元のチームで活躍している姿を見ることができるのは、一番の親孝行なのかもしれません。
(僕がこっそりイーグルスを応援する理由!オーナーの三木谷浩史さんと楽天初優勝の物語はこちらから読めます。)
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