野茂のトルネード旋風再び!? 巨人の調理師・高井俊の7つの人生物語


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高井俊投手がトルネード投法に出会った意外なきっかけとは。
調理師専門学校へ通っていた高井投手が、なぜ再びプロ野球を目指すことになったのでしょうか。
そこには、高校時代の想いがあったのかもしれません。

 

巨人での “ある人” との出会いとは。
トルネード投法を後押しする人の存在は、高井投手の背中を大きく押してくれたのかもしれません。

今回は、高井俊投手の歩んできた道のりを、『7つの人生物語』と題して紐解いていきます。

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『プロ野球は諦めようと思っていた』!?高井俊が調理師免許を取得した理由とは


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高井俊投手が野球を始めたのは、小学2年生の頃。
プロ野球を目指して地元・新潟県見附市から宮城県の名門・東北高校へ野球留学。
3年生の夏には背番号10を背負うが、甲子園出場はなりませんでした。

 

プロからは声がかからず、「プロ野球選手は諦めようと思っていた」という高井投手。
高校卒業後には、地元近くの新潟県長岡市の悠久山栄養調理専門学校の1年間コースへ進学。
親の料理を手伝うことが好きだったこともあり、調理師免許を取得することを目指したのだそうです。

 

(亜大野球部を一度辞退。再び大学を入り直したという吉川尚輝選手の記事はこちらから読めます。)

 

プロ野球へ未練があった!?調理師専門学校を卒業して身につけた高井俊の強み


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ある番組で、悠久山栄養調理専門学校の先生・清水まり子さんは、高井投手の調理している姿を見て「最近、ユニフォームやスーツばかりだったから、こういう格好していたんだなあ」と振り返っていました。
そんな高井投手が専門学校時代に先生から唯一褒められたのは、チャーハン。

 

栄養を考えて調理をするのは、この後の高井投手の人生に大きく強みになっているのではないでしょうか。
料理がこれだけ得意なプロ野球選手は他にいないと思います。
アスリートが自分で栄養管理をすることができるのは、怪我を予防するのにも身体作りをするのにも強いです。

 

そんな専門学校時代、一度はプロ野球を諦めた高井投手ではありましたが、清水先生はプロ野球への未練もあったのではないかと言います。
その理由は、高井投手がクラスでプラスチックのバットを持って、振ったりしていたのを見たから。
そういうのを見ていた清水先生は、高井投手が育成で指名されてよかったなあと思ったのだそうです。

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もう一度プロへ!再び目指すきっかけとなった出来事とは


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専門学校時代、野球の道を諦めた高井投手は小学校・中学校時代に一緒に野球をしていた地元の友達から誘われて軟式のクラブチームに所属。
「野球は趣味だけ」と軟式野球でプレーする程度になっていた高井投手ですが、そこで146キロを計測。
強化チームに加わることになりました。

すると、強い相手と戦って、闘争心や燃えてくる気持ちが。

 

日に日に「もう一回本気でやりたい」という思いが強くなっていく高井投手。
2014年の秋、BCリーグのトライアウトに参加。
新潟アルビレックスから指名を受けて入団へ進んでいきます。

そこから高井投手の運命を決める、2年間の独立リーグでの人生が始まりました。

 

トルネード旋風再び!?高井俊のフォームを変えた意外なきっかけとは


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新潟アルビレックスBCに所属した1年目の夏、トルネード投法でピッチング。
アルビレックスの監督・赤堀元之さんに言わずに自分で変えたため、始めは「何だそのフォームは」と驚かれたといいます。

 

その当時、高井俊投手は投げ方が不安定だったと言います。
「自分の武器は力強いストレート」という高井投手は、それを活かすことができるフォームを模索。
インターネットなどでフォームを調べていたところ、野茂英雄さんにヒットしたのだそうです。

 

最初の頃は下半身がふらついたり、安定しなかったという高井投手。
次第に安定感も出てきて、球速は152キロを計測するまでに成長。

 

僕は以前独立リーグの環境が特集されている番組を見たとき、けっして充実しているとは言えない環境の中でプロ野球を目指すのはかなり難しいと思いました。
そういうところからプロのスカウトの目に留まるようになるには、何か秀でたものがないといけないのではないでしょうか。

トルネード投法のピッチャーって、野茂英雄さんの他に見たことがないです。
高井投手が、他の人がしないことでも「やってみよう」となったのは、一度野球の道を外れて人と違う環境に入ったからこそ、違う考え方ができたのかもしれません。

 

(大学の先輩でもある青木宣親選手のフォームを取り入れた、重信慎之介選手の記事はこちらから読めます。)

 

独立リーグの厳しい環境!?高井俊のアルバイト生活


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しかし、その独立リーグの環境は、高井投手にとっても楽なものではありませんでした。
独立リーグでの収入は月10万円ほど。
野球を続けたいという思いから、BCリーグのほとんどの選手は、オフシーズンにアルバイトで生活費を稼いでいるのだといいます。

 

高井投手も、練習の後には見附市のラーメン店でアルバイトの日々。
それでも高井投手のプロになりたいという気持ちはかなり強かったようで、お店の店長・安部聡さんは「野球を優先していい」と言って応援してくれていたのだそうです。

「自分1人で努力したところで掴めるものではない」と高井投手は感謝の言葉を口にしていました。

 

(厳しい家庭環境の中でドラフト一位を勝ち取った鍬原拓也投手の記事はこちらから読めます。)

 

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父と二人三脚で目指したプロ野球の世界


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独立リーグからプロを目指す高井投手を支えてくれたのは、家族だったのかもしれません。
高井投手の父はアマチュア審判のお仕事をする人。
独立リーグでプロを目指すときも、一番に応援してくれたのが父だったといいます。

 

父は、高井投手が投げるほとんどの試合でビデオを撮影。
帰宅してからは一緒にミーティングもしてくれて、アドバイスをくれていたのだそうです。

 

独立リーグからプロへ進める人はほんのわずかで、ほとんどの人が諦めていく厳しい世界。
そういう先が見えない状況に中で気持ちが折れたり、方向が見えなくなってしまうことだってあると思います。
独立リーグのチームが地元にあったということも、実家が近くにあったことも、高井投手にとって大きかったのかもしれません。

そして2016年、わずか2年で育成ドラフトの1位指名を受けて巨人へ。

 

人生を変えた!?高井俊の巨人での出会いとは


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育成で始まった巨人の3軍で、高井投手はある人と出会うことになります。
それは、野茂英雄さんと5年間同僚だった、阿波野秀幸3軍コーチ。
「真近で本家を見てきて、そのすごさがわかっている」と話す人が指導者になったのです。

 

高井投手のクイックや牽制が安定しないことが問題になりつつあったときも、「それが評価されて、入団している」とトルネード投法を伸ばしていくことに協力してくれているのです。
「高井の良さを引き出してあげたい」と話す阿波野コーチは、高井投手の理解者だったのではないでしょうか。

 

しかし、2019年から首脳陣が大きく変わり、指導者が一新された巨人。
阿波野さんは巨人のコーチを退任して、中日ドラゴンズへ。
勝負の3年目となる2019年シーズンで支配下登録、そして1軍マウンドで再びトルネード旋風が起きるのを期待したいです。

 

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