垣間見える妻と子供への愛情!?浅尾拓也の現在がわかる7つの人生物語


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浅尾拓也投手が入団当時から持っていた、”意外な目標” とは。
プロ野球選手は子供達に夢を与える職業でもありますが、浅尾投手がこういう “想い” を持ってプレーしていたというのは意外でした。

 

浅尾投手のコーチの資質がわかるエピソードとは、一体どういうものでしょうか。
岡田俊哉投手の質問に対する浅尾投手の答えは、意外なもの。
浅尾投手がずっと先輩たちの振る舞いを見てきた経験が、これからの浅尾投手のコーチとしての野球人生を支えていくのかもしれません。

今回は、浅尾拓也投手の現在までの野球人生を、『7つの人生物語』と題して紐解いていきます。

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どんな子供だった!?浅尾拓也の幼少時代とは


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浅尾拓也投手が生まれたのは、愛知県知多市。
4130グラムの大きな赤ちゃんだったと言います。

 

浅尾投手は、幼少期から運動神経抜群。
外で遊ぶのが大好きで、家の中にいることが好きでなかったという浅尾投手。
自宅が団地にあって、その中の一角にある草むらで遊んだり、近くの公園で遊んだり。

 

そんな浅尾投手が野球を始めたのは、6歳のとき。
友達に誘われて入った “つつじヶ丘ドリームズ” で守っていたのは、キャッチャー。
浅尾投手のフォームを見るとモーションが小さいですが、それはこのキャッチャーの経験があったからこそ、小さく投げることができるのだそうです。

 

浅尾拓也のプロ野球人生に訪れた大きな “転機” とは


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知多市立八幡中学校へ進学した浅尾投手は、軟式野球部に入部。
プロ野球選手になる人は、中学時代からシニアチームで硬式野球をする人が多いですが、浅尾投手は軟式野球を選択しています。

 

そして中学でもキャッチャーをしていた浅尾投手。
ここから愛知県立常滑北高校へ進み、ピッチャーへ転向することになります。

 

それには、あるきっかけがありました。
当時、常滑北高校は選手層が薄い無名校で、浅尾投手が2年生の頃、一つ上の先輩が引退していく時にピッチャーがいなくなってしまったのだといいます。
それで肩の強かった浅尾投手が、本格的にピッチャーをすることになったのだそうです。

 

この頃は、まだプロの世界を全く意識していなかったという浅尾投手。
しかし、これが浅尾投手のプロ野球人生にとって、大きな転機となったのです。

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「野球をやめたい」!?浅尾拓也を動かした、高校時代の恩師の言葉とは


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ピッチャーとして高校野球を駆け抜けた浅尾投手でしたが、最後の夏を終えた後に気持ちの変化が。
一度だけ、「野球をやめたい」と言い出したことがあったのだといいます。

 

思春期で、野球以外のことに興味を持ってしまい、生活が乱れていたという当時の浅尾投手。
浅尾投手は「友達はみんな高校生活を楽しんでいましたし、自分も野球をやめて遊びたいと思った」とその頃を振り返っています。

 

そんなときに浅尾投手に声をかけたのが、恩師の谷奥伸治さんでした。
谷奥さんが浅尾投手に伝えたのは、「お前から野球をとったらどうなるか心配」「拓也はドロドロのユニフォームで、グラウンドで動いているのが輝いている」

浅尾投手は「谷岡先生のことがすごい好きで、心から尊敬していた」と言っていて、「わかりました、とりあえず頑張ってみます」と言って続けることにしたのだそうです。

 

浅尾拓也の大学時代!プロへの道を拓いた特別な場所とは


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野球を続けることになった浅尾投手は、地元の日本福祉大学へ進学。
大学野球では、ここも無名校。当時、プロ野球だけでなく、社会人野球に進む選手さえ排出したことのない大学でした。

 

浅尾投手が入学当時は3部リーグに属していた日本福祉大学野球部でしたが、2部そして1部へと上がっていくにつれて浅尾投手の野球に取り組む熱量も上昇。
大学3年生の頃には、プロのスカウトが試合を見に来るように。

 

大学1年の頃に138キロだった球速は、4年時には152キロに。
それを可能にした、浅尾投手にとって特別な場所があります。

 

それは、”南知多千鳥が浜海水浴場”。
大学近くにある海岸です。

 

浅尾投手はこの砂浜に毎日行って、3〜4時間は砂浜と階段を走っていたといいます。
足が深くはまってしまうような砂浜で、足腰を徹底的に鍛えたのだそうです。

そして、一躍ドラフト候補に飛躍することになります。

 

イケメン・浅尾拓也の結婚とドラフトエピソードに思うこと


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「自分がこんなふうになるなんて、大学4年生ぐらいまで全然わからなかった」という浅尾投手。

ドラフトで浅尾投手が入りたかったチームは、地元のドラゴンズ。
ドラフト前には地元・知多市の恋の水神社へ行って、「中日指名 お願いします」と願いを描くコップに綴って捧げていた浅尾投手。
その願いの通りに、中日から3位指名を受けて入団。そこからセットアッパーとしての活躍が始まります。

 

そして、もう一つプロ入り後の浅尾投手にとって大きな出来事が。
それは、”結婚” と “子供達の誕生” です。

 

浅尾投手が結婚したのは、2009年12月28日のこと。高校時代の同級生と10年間の交際を経ての結婚でした。
「仕事が終わってから家に来て料理を作ってくれたり、休みの日も朝から家に来てくれる姿を見て、食事の心配もなくなる」と言っていた浅尾投手。
2012年11月10日第一子の男の子が、2015年10月10日には第二子の女の子が誕生していて、現在4人家族。

 

ここで、注目したいのが、浅尾投手はあまり公の場で家族のことを話したがらないということです。
プロの選手って、家族とあった出来事などを地元の番組とかで話している様子を見ますが、浅尾投手は「野球に奥さんを持ち込むのはかわいそう」と言っていたこともあったぐらい。大切に想うからこそメディアの前では語らないのかもしれません。

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入団当時から持ち続けた浅尾拓也の “意外な目標” とは


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ここで、浅尾投手が入団会見のときに語っていた目標について思い出します。
それは、「中学まで軟式野球やってきたので、そういう子たちでもプロに入って活躍できることを証明できるような選手になりたい」ということ。

 

中学時代は軟式野球をしていて、高校では甲子園とは無縁の高校でプレー。大学でも3部リーグからスタートしたという、無名校を通ってきた浅尾投手。
強くないチームで野球をやってきても、プロに入ったらしっかり活躍できるというのを見せれば、強いチームに入っていない子も頑張れるのではないかということを持ち続けていたのだそうです。

 

2018年に引退を表明して、2軍コーチになった浅尾投手。
今度は、指導する立場でその目標を持っていくのかもしれません。

 

(平田良介選手が力を入れる家族サービスとは!?)

 

浅尾拓也の現在とコーチの資質がわかるエピソード


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コーチとして、また野球人生をスタートさせる浅尾投手。
そんな浅尾投手には、コーチの資質がわかるエピソードがあります。

 

それは、2軍でブルペン待機をしているときのこと。
血行障害で苦しんでいた岡田俊哉投手が、浅尾投手に「一軍でも通用する球を投げているのに、嫌じゃないんですか」と質問したことがあったのだそうです。
それに対して「後輩が見ているから、そういう態度は周りに出したくない」「適当にはできない」「2軍でも前向きに明るくやっている」ということを言っていたという浅尾投手。

 

そのことについて「自分が若手の時、上の選手たちが一生懸命練習されるのを、格好いいなと思ったので、自分も上になった時にはそうありたいなとずっと思っていた」と言っていました。
長く、怪我のリハビリに苦しんだ経験をもつ浅尾投手ですが、そういう経験がこれからコーチとしての浅尾投手を支えていくのかもしれません。

 

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