兄と目指した甲子園の夢!ロッテ・藤原恭大の性格がわかる7つの物語


出典:「https://baseballking.jp/」

藤原恭大選手が2歳上の兄と抱いていた “大きな夢” とは。
しかし、先に高校野球へ進んだ兄に訪れた意外な出来事。
藤原選手の春夏連覇した甲子園大会は、特別なものだったのかもしれません。

 

そんな藤原選手のちょっと意外な性格とは、一体どういうものでしょうか。
ストイックに練習することで知られる藤原選手ですが、意外な一面が見えてきました。

今回は、藤原恭大選手を『7つの物語』と題して紐解いていきます。

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ストイックの原点は小学生時代!?父の指導で育った藤原恭大


出典:「https://sports.yahoo.co.jp/」

藤原恭大選手が野球を始めたのは、小学1年生の頃。
父・史成さんが監督をしていた少年野球チーム・園和北フレンズに入団。
自宅でも藤原選手のバドミントンの羽を打つというシャトルティーの練習につきあったり、熱心な父の指導を受けながら育ったのだといいます。

 

史成さんは、機械プラントの会社を経営している人。
しかし、”藤原選手に野球談義ができる環境を” と焼き鳥屋を始めてしまったほどの熱の入り方。
そのお店は、大阪桐蔭高校のOBや阪神でプレーしていた選手たちも常連だったのだといいます。

 

そんな父のストイックなサポートを受けてきた藤原選手も、かなりストイックな人。
それがわかる高校時代のエピソードがあります。

 

それは、放課後に友人から遊びに誘われたときのこと。
LINEで「何時にどこへに集合」と言われた藤原選手から返ってきた返事は、「素振りが終わってから行くわ」という言葉だったのだそう。
自分で決めたことを、そこまできちんと取り組んでいるのがわかります。

 

兄と目指した甲子園の夢!藤原恭大と兄・海成さんの関係とは


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そんな藤原選手が野球を始めるきっかけとなったのが、2歳上の兄の存在。
藤原選手は兄・海成さんのことを『憧れの人』と話しています。
海成さんは藤原選手について、「小学生の頃から一緒に野球をしていて、兄弟というよりはライバル。」と話していて、お互い切磋琢磨していく関係だったことがわかります。

 

そんな二人には、少年時代から目標にしていたことがあったのだといいます。
それは、”二人で一緒に甲子園に行くこと”。

 

先にPL学園に進学した海成さん。
しかし、その翌年に思いもよらぬ出来事が起きてしまいます。それは、PL学園野球部の部員募集停止。
年々部員が減っていき、最後の夏は同級生12人だけで臨み初戦敗退。

藤原選手も部員募集が停止されたPL学園ではなく、大阪桐蔭高校へ進学。
藤原選手の大活躍した春夏連覇の甲子園は、兄が果たせなかった夢でもあったのでした。

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野球部顧問に圧勝!?藤原恭大が無敗だった “意外な特技” とは


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ここで、藤原選手が “無敗” と言われる意外な特技があります。
それは、”腕相撲”。大阪桐蔭時代にも誰も勝てなかったのだといいます。
その強さは中学時代からなのだそうで、それがわかる “あるエピソード” があります。

 

それは、藤原選手が中学3年生の頃のこと。
10歳年上の野球部顧問をしていた青木先生との出来事でした。
藤原選手が休憩時間に青木先生に声をかけて、腕相撲の勝負をすることに。
青木先生は「余裕だろう」と思っていたのだそうですが、勝負が始まると “バーン!” と一瞬で藤原選手が勝ったのだそうです。

 

そんな藤原選手の中学3年生当時の握力は “74キロ”。
今では、右手で90キロあるのだそうです。

 

他の生徒が怪我をしてしまう!?藤原恭大が経験した野球部退部エピソード


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そんな中学生離れした握力をもつ藤原選手ですが、それは野球のプレーにも。
中学時代は、枚方ボーイズというシニアチームに所属していた藤原選手。
中学校の部活でも、野球部へ入ろうとしていたのだといいます。

 

その体験入部へ行ってみると、藤原選手を知る他の生徒が顧問の青木先生へ「恭大の球を一球とってみて」
「ちょっと速いかなぐらいの気持ちでいた」という青木先生。

 

藤原選手が軽く放ったボールが、青木先生のグローブに “バチン!” と直撃。
思わぬ豪速球に青木先生は、あと少しグローブを出すのが遅れていたら頭に激突していたのだと振り返っていました。

 

それもそのはずで、藤原選手の中学時代の球速は140キロ。
これでは一緒に練習した他の生徒が怪我をしてしまう、と藤原選手へ「野球部を辞めて、枚方ボーイズ一本で」とお願いしたのだと言っていました。

 

ジュニアオリンピック記録へ挑戦!?藤原恭大の運動神経がわかるエピソード


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藤原選手の実力は、野球だけに止まりませんでした。
中学3年生の頃の部活対抗リレーでは、驚きの “藤原伝説” が残っています。

 

それは、藤原選手がトップから半周遅れでバトンを受け取ったときのこと。
バトンを握ったタイミングでは、藤原選手のチームは最後を走っていたのだといいます。
しかし、そこから1周を走るうちに全員を抜いてトップへ。

 

藤原選手の50メートルの記録は、5秒7。
プロ野球の中でもトップクラスの速さです。

 

そんな藤原選手が中学1年生の頃に挑戦した体力測定でも “伝説” が。
それは、藤原選手が走幅跳を跳んだときのことでした。
藤原選手の記録は、7メートルというジュニアオリンピックの記録を更新してしまいそうな数字だったのだそうです。

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部屋の中は驚きの!?藤原恭大のリラックス方法とは


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一方で、藤原選手の私生活には、完璧でない一面も。
それは、寮の部屋でのこと。
大阪桐蔭時代のチームメイトがある番組で話していたのは、藤原選手の部屋が散らかっているということでした。

 

ストイックで性格もきちんとしたイメージがある藤原選手ですが、意外だなあと思います。
現在は、大阪桐蔭高校の選手寮を離れて自宅通いが続くという藤原選手。
もうすぐ新人合同自主トレからキャンプが始まり、マリーンズの選手寮へ入っていきますが、その部屋の様子にも注目です。

 

そんな藤原選手は、漫画を読むのがリラックス方法なのだといいます。
普段読むのは、”ダイヤのA” や “メジャー”。他にもワンピースにハマっているのだと話していました

プロ野球選手の中には、漫画好きの人が少なくないように思います。
僕も漫画を読むのが好きな人ですが、漫画を読んでいるときはその物語に集中できるので、藤原選手にとっても野球から少し離れてリラックスができる時間なのかもしれません。

 

『みんなで一回遊びに行きたい』藤原恭大が甲子園で忘れられないシーンとは


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大阪桐蔭高校の春夏連覇で盛り上がった夏の甲子園大会。
藤原選手は忘れられないシーンがあるのだといいます。

 

それは、準々決勝の浦和学院との試合。
藤原選手は、根尾昂選手とアベックホームランを達成したことが、思い出に残っているのだといいます。
根尾選手がホームランを打つとすぐさま藤原選手が特大のホームランを打ちましたが、根尾選手は「打つだろうなあと思って見ていた」と話していました。

 

藤原選手の同級生3人が、一緒に進むプロ野球の世界。藤原選手にとっても、高校の仲間は、大切な存在なのだといいます。
一緒に進む3人もチームは別で本拠地も近くはなく、進学したり就職していく他のメンバーもなかなか会うことができません。
藤原選手は、高校を卒業する前に「みんなで一回遊びに行きたい」とあるインタビューで話していました。

 

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