父は経営者で兄は芸人、弟は!? 巨人・松原聖弥の7つの雑草人生物語
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松原聖弥選手の意外な兄弟たちとは。
松原選手の兄はお笑い芸人として活躍する人。弟も父も松原選手に負けず劣らず、異色の経歴。
そんな父がいつも言っていた “あること” が、兄弟3人の考え方を培ったのかもしれません。
育成指名を受けて3桁の背番号から始まった、松原選手のプロ野球人生。
そこまでたどり着くまでに、松原選手は挫折を経験していました。
そして、巨人で出会った “恩師の存在と別れ” とは。
今回は、松原聖弥選手を『7つの雑草人生物語』と題して紐解いていきます。
目次
父は経営者で兄はお笑い芸人、弟は!?松原聖弥の異色の家族とは
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松原聖弥選手が兄・侑潔さんの影響で野球をはじめたのは、小学4年生の頃。
この頃から、プロ野球選手になるのが夢だったといいます。
そんな松原選手の家族は、異色の経歴の人揃い。
上の写真に写っている兄・侑潔さんは、お笑いコンビ・ロングアイランドのお笑い芸人。
弟・涼雄さんはラーメン店を開業することを目標に修行をしている身で、2〜3年後にお店を出すと話しているといいます。
そして、松原選手の父・秀樹さんは、販促クラウドサービスの「SPinno」という会社の経営者。
子供達にはいつも、「自分の道を見つけるように」ということを言っているのだそうです。
松原選手は、兄弟と違う世界でも、お互いに切磋琢磨していく仲。
違う分野でも同じように上の方を目指していくのは、お互いに参考になったり良い関係なのかもしれません。
「自分は雑草」!?松原聖弥の寮生活とは
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今、松原選手の自宅となっているのは、『ジャイアンツ寮』
そこにはプールもあって、ウェイトもあって、バッティングマシーンもあるといいます。
「こんな環境、使うしかない」と話す松原選手。時間を見つけては地下の練習場でバッティングマシーンを起動させて打ち続けているという、練習漬けの生活です。
「アマチュア時代の実績がない自分が這い上がるには、2軍の試合で誰よりも結果を出さないといけない」
そんな思いで毎日練習に取り組んでいるのだそうです。
時間を無駄にしないのは、ちょっとした空き時間にも。
松原選手はバッティング練習をスマホで撮影していて、空き時間にはそのフォームをチェックしているのだといいます。
本当に少しの時間も無駄にしない姿勢がわかります。
そんな松原選手の “雑草魂” がわかるものが。
イチローと根尾昂との共通点が!?松原聖弥を支える意外な “言葉” とは
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それは、松原選手のツイッターアカウントの背景画像。
そこにはこんな言葉が書かれています。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。能能吟味有べきもの也」
これは、宮本武蔵の兵法書「五輪書」に書いてあるものなのだそうで、千日とは3年間、万日とは30年間のこと。
30年というのは長い月日ではありますが、それを諦めることなく日々実践していくと、当人でさえも想像だにしなかった力が構築されていくという意味なのだそうです。
これって、言葉は違いますが、イチロー選手の好きな言葉で知られている “継続は力なり” と意味は同じだと思います。
そういえば最近、中日のドラフト一位指名を受けた根尾昂選手も色紙に “継続は力なり” と書いていたのが印象的でした。
挫折の連続だった!?松原聖弥の日の目を見なかった、それまでの野球人生
その言葉が出てきたのには、松原聖弥選手のこれまでの挫折があったのかもしれません。
高校では、プロを目指して強豪・仙台育英高校へ進学した松原選手。
しかし、3年生の最後の大会でもベンチにすら入れず、野球への情熱を失いかけたことがあったのだそうです。
そのとき、ある新聞記事が松原選手の目に。
それは、同じ高校の先輩で巨人でもプレーした矢貫俊之さんについての記事。
松原選手は、矢貫さんが高校時代にベンチにも入れなかったという、同じ境遇を経験していたことを知ったのです。
そこで松原選手は、高校の恩師へ進路を相談。
すると、「高くジャンプする時には、一回しゃがまないといけない」「お尻さえつかなかったら、もっと高いところに行ける」ということを言われたのだそうです。
諦めずに大学で野球を続けようと決意した松原選手。そこから時間を無駄にしない毎日が始まったのです。
大学で飛躍!?松原聖弥のドラフトエピソードとは
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そこから首都大学リーグ2部リーグの明星大学へ進学した松原選手。
ひたむきに野球に取り組み、2年生でレギュラーを奪取。それから4年生まで、通算で3割を超える打率を残しました。
その成績とひたむきに努力する姿がスカウトの目にとまり、2016年のドラフト会議で巨人から育成5位指名をゲット。
明星大学初のプロ野球選手になりました。
「信じられなかったです。そもそも呼ばれるとは思っていなかった」と話していた松原選手。
しかし、指名されたものの、それは育成契約で背番号は3桁の『009』。そして松原選手のひたむきな取り組みは続き、”ある人” と出会うことになります。
二人三脚で支配下へ!巨人での恩師との出会いとは
巨人の3軍で始まった松原選手のプロ野球生活。
松原選手は育成契約なので、一定期間で支配下契約を勝ち取らないといけません。
当時の3軍監督は、川相昌弘さんでした。
川相さんは、プロに入ってから慣れないポジションに転向して、一から猛練習でポジションをつかんだ人。
自分に重ねるところがあったのだそうで、ひたむきに練習を続ける松原選手を懸命に指導していました。
松原選手のような選手が一軍で活躍をしようとすると、バッティングや守備だけでなく、バントのような細かい仕事も必要なのだとつきっきりで指導することも。
「(自分が)一番怒られます」と言っていた松原選手。「でも一番見られている」とも。
「期待されているんだなあと、いつも思います」と恩師と二人三脚での取り組みが続いていました。
川相昌弘との別れと松原聖弥の “恩返し”とは
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育成一年目に結果を残した松原選手に、川相さんはスター候補の登竜門・アジアウインターベースボールリーグの舞台を用意。
そこでも19試合に出場して3割を超える成績を記録。
2年目は2軍監督に配置転換となった川相監督の元で、スタメンを獲得。
NPBが定める支配下登録期限の7月末に、育成から支配下登録になることが決まりました。
背番号は『59』に変更。そのシーズンにはヒット数でイースタンリーグ記録を更新する快挙を達成。
2019年に川相監督と目標にしてきた一軍への足がかりが揃いました。
しかし、そんなときに川相監督の退団が発表。
プロ野球では監督やコーチが変わることはたくさんありますが、松原選手にとって二人三脚で進んできた人が退団することは気持ち的にも大きなことだったかもしれません。
それでも松原選手は、「一軍で活躍するのが、一番の恩返しだと思っている」と来年の活躍を誓っていました。
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