野間峻祥はモアナが好き!?母と兄弟に支えられた7つの家族エピソード
出典:「http://www.livinghiroshima.com/」
野間峻祥選手の活躍の裏には幼少時代の家族の支えがあります。
ゴルフ場で時給1000円で三人の兄弟を育てた母と兄弟の支え。
カープの緒方孝市監督がこれほど野間選手に目をかけるのはなぜでしょうか。
そこには野間選手が歩んできた “ある考え方” がありました。
目次
野間峻祥はインドア派!?その趣味とは
野間選手は映画が全般的に好きなのだと言います。
それも新しい映画が出たらすぐにDVDを買うほど。
中でも特にディズニー映画が好きなのだそうで、一度鈴木誠也選手ともソレイユの映画館に『シンデレラ』を見に行ったのだそうです。
野間選手は以前、「ディズニーは制覇している」と語っていて、そのディズニー好きがわかります。
野間選手はカラオケが趣味だと言っていましたが、ディズニーの歌は全部覚えているといいます。
特にモアナはほぼ全部覚えているそうで、カラオケではモアナばかり歌っているのだそうです。
丸佳浩選手もモアナをほぼ覚えていると言っていましたが、チーム内でもディズニー好きは多いかもしれません。
守備が上手なのは、自然の中で育った野生児だから!?
出典:「http://column.sp.baseball.findfriends.jp/」
野間選手の地元は兵庫県三木市。
神戸市の北側位置する街で、野間選手の育った実家は、自由が丘中央公園というグラウンドもある広い公園の近くです。
野間選手はこういう森林公園やゴルフコースのような山々に囲まれた地域で育ちました。
そんな野間選手は、小学校3年の時に地元の東自由が丘ベアーズに入団。
当時は外野とピッチャーをしていたそうですが、守備が抜きん出てうまかったそうです。
ベアーズのコーチをしていた蔵本泰之さんは小学校時代の野間選手の外野守備を絶賛していて、ノックで大きなフライを打つと「これは取れないかな」と思ったときも野間選手は落下点にいたのだと語っていました。
では、そんな野間選手の幼少時代はどんな子だったのでしょうか。
(幼少期から外へ走り回っていた西川龍馬選手の記事はこちらから読めます。)
母・しのぶさんが語っていた野間峻祥の幼少時代とは
母・しのぶさんが語る当時の野間選手は、泣き虫で引っ込み思案な一面もあったのだと言います。
遊園地に行ったときなんかは、お化け屋敷とか人が出てくる乗り物は絶対に乗れなかったのだそうです。
しかし、野球に対しては小学生時代から夢中になっていたようです。
学校から帰ってくると素振りやティーバッティングを一生懸命していて、そういう姿を見ると絶対に高校でも野球をさせてあげたいという想いが強くなっていったと言います。
(幼稚園時代から身長が飛び抜けていたアドゥワ誠投手の性格がわかる記事はこちらから読めます。)
野球の才能があった!?その片鱗を見せた幼少期のエピソードとは
出典:「http://pict-dd.cocolog-nifty.com/」
その野球の才能は幼稚園時代からあったのかもしれません。
しのぶさんは、「初めてキャッチボールをしたとき、教えたこともないのに上から投げたボールを普通にパシッて取った」ということを覚えています。
野間選手は小学3年生から野球を始めたとき、初めは外野を守っていたそうです。
練習ではフライが飛んできたとき、それが取れないと泣いてしまって、そのあとボールを上に投げて捕球練習を繰り返していたのだそうです。
その翌年、小学4年生になったときにはピッチャーになって6年生を相手によく抑えていたのだそうです。
しかし、試合でヒット1本打たれるとマウンド上で泣いてしまうほどの負けず嫌い。
こういう性格が野間選手の技術をどんどん上達させていったのかもしれません。
「家族全員に感謝したい」苦労を重ねた野間峻祥の家庭とは
両親は小学1年生のときに離婚。
しのぶさんは女手一つで姉・なつみさん、野間選手、弟・祥明さんを育てました。
しかし、その生活は苦労したと言っていました。
しのぶさんは市内のゴルフ場のレストランで働いていたと言いますが、野間選手が野球をするのには当然お金もかかります。
スポーツの中でも野球はお金のかかるスポーツでグローブやバット以外にもユニフォームやスパイク、カバンなどたくさん揃えないといけないものがあります。
あるとき、新しいスパイクとか合宿費用とかが必要で困ったときがあったそうです。
そんなとき、姉のなつみさんや高校卒業後にアルバイトしていた弟の祥明さんが負担してくれたことは何度もあったと言います。
そんな野間選手がカープにドラフト一位で指名された会見で、「育ててくれた母親、姉と弟がいるけど、僕中心の生活になっていた。」「家族全員に感謝したい。これから恩返しする。」と決意を固めていました。
(4人兄弟の大瀬良大地投手の記事はこちらから読めます。)
子供の頃からの野間峻祥の好きな母の手料理とは
そんな野間選手は小さい頃から母の作る料理で大好物があったと言います。
それは、すじ肉を入れたカレー。
中央学院大学時代には寮に入っていた野間選手ですが、そこから帰ってくるときになると母は前日からカレーを一生懸命作っていたのだそうです。
しかし、帰ってきて「カレー食べ」と出したら、寮でよく出てくるメニューだったため、食べ飽きてしまっていることも。
それでも寮のカレーと家のカレーは「全然違います」と母の味が良いのだと語っていました。
(野球をやめそうになったときに説得してくれた人とは!?九里亜蓮投手の記事はこちらから読めます。)
緒方孝市が惚れた野間峻祥の意外な才能とは
そんな野間選手をドラフト一位で欲しかったのはカープの緒方孝市監督です。
「野間の映像を一目見て感じるものがあった」「野間に一目惚れです。野間は素晴らしい」と指名当時には絶賛していました。
走攻守どれでも高いポテンシャルを持っていることや、足が早くて盗塁でピッチャーと勝負できる選手ということも緒方監督が “惚れた” 理由だったようですが、そこには野間選手の人柄にも注目していたようです。
それは、『感謝を忘れない』という人柄です。
裕福でない家庭に育ちながらも家族の支えがあったからここまで野球を続けてこられたという気持ちを強く持っている野間選手はよく『感謝』という言葉を使います。
“苦労した経験のある人は大成する” ということは言われることですが、野間選手の今の活躍もそういう背景があるからこその努力によるものなのかもしれません。
\2019年 注目の選手7人の生き方を特集してます↓/
\球場へなかなか行けないなら↓/
\野間峻祥選手の球界トップクラスの盗塁を見るなら↓/
\面白い!意外!感動!プロ野球選手たちの生き方を紹介してます↓/