子供と嫁と旅行へ!? イケメン・岡田俊哉がわかる7つの人生物語


出典:「https://www.scoopnest.com/」

外野を守っていた岡田俊哉投手が、ピッチャーに転向したきっかけとは。
「すごいピッチャーだった」という兄・拓磨さんと岡田投手のエピソードがありました。

 

岡田投手の子供とのエピソードとは、一体どういうものだったのでしょうか。
20歳という若さで父親になった岡田投手。
血行障害とうまく付き合いながらのリハビリ生活には、家族の支えもあったのかもしれません。

今回は、岡田俊哉投手を、『7つの人生物語』と題して紐解いていきます。

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岡田俊哉の少年時代!ピッチャーに転向するきっかけとなった兄とのエピソードとは


出典:「https://number.bunshun.jp/」

和歌山県日高郡美浜町に生まれた岡田俊哉投手。
本格的に野球を始めたのは、小学2年生の頃でした。

 

それから中学2年生までは外野を守っていたという岡田投手。
そんな岡田投手がピッチャーに転向するきっかけとなる、ある出来事がありました。

 

それは、ピッチャーをしていた一つ上の兄・拓磨さんが高校野球で打たれて、泣いているのを見たときのこと。
拓磨さんのことを「すごいピッチャーだった」という岡田投手。
そんな兄でも打たれて、ピッチャーってすごい責任を取らされるんだなあと思っていて、当時は絶対にやりなくないなあと思っていたのだといいます。

 

しかしあるとき、そんな兄が怪我をしてピッチャーができなくなったことがあったのだそうです。
怪我をした兄から、「やってみたら?」と言われたという岡田投手。
最初はしぶしぶやってみたといいますが、抑えたときは嬉しくて、こういう一面もあるんだなあと思ったのだそうです。

 

これも験担ぎ!?岡田俊哉が初詣に通っているお寺とは


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毎年恒例の地元和歌山での初詣。
岡田投手が通っているのは、和歌山・西牟婁郡のお寺。
「一年の始まりはここ」というように、ここでの初詣が恒例になっているのだそうです。

 

しかし、一度だけ来ない年があったという岡田投手。
その年の成績は全然ダメだったのだそうで、それ以来は絶対に行かないといけないと思って来るようにしているのだと話していました。

 

プロ野球選手にとって、験担ぎはとても大事なものだと思います。
些細なことで結果が変わっていまい、チャンスを逃すこともあるので、こういう験担ぎも納得がいくようにしていかないといけないのかもしれません。

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岡田俊哉に立ちはだかった大きな壁とは


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岡田俊哉投手は2015年から2年間にわたって、中継ぎとして大活躍。
しかし、そこから投球による負荷が重なって、血行障害という手の冷えや痺れ、痛みを伴う病に苦しめられることになります。

 

「手が白くなって本当に血液の通っていない手になって、ボール握ってる感覚ももちろんないですし、ボールを投げるという動作自体ができなかった」という岡田投手。
それから岡田投手は、手術をする決断。左手にメスを入れる決断をして、人差し指両側の血管剥離手術。
中指と薬指も手術をした岡田投手は、「これでダメだったら僕の野球人生はそういう野球人生だったと諦めがつくと思っていた」と話していました。

 

ピッチャーにとって、指の感覚がおかしくなれば、ボールをコントロールすることはできなくなります。
この大きな決断から、岡田投手の血行障害との戦いが始まりました。

 

身近にいた経験者と岡田俊哉の新しい相棒とは


出典:「http://column.sp.baseball.findfriends.jp/」

血行障害に苦しむ岡田投手の近くには、意外な経験者がいました。
それは、当時ピッチングコーチを務めていた朝倉コーチ。

 

朝倉ピッチングコーチは4度の二桁勝利をあげながらも、血行障害が引き金となって選手生命を絶たれた人。
朝倉コーチは「自分の腕なんだけど、自分の腕じゃない感覚」といっていて、思い切り腕を振っても、空振りしている感じがしていたということを話していました。
実際に同じような境遇を経験した人が近くにいたことは、岡田投手の心境としても大きいものだったのではないでしょうか。

 

そんな岡田投手は比較的温暖な気候で行なっている春季キャンプでも、一人だけ長袖の姿。
さらに、その手にはカイロが握られていました。

 

考え方の変化と岡田俊哉の復活マウンド


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手術をしてリハビリをしている時期の岡田投手は、いろいろなことを考えていたのだといいます。
「何を目指して何と戦っているのか、自分で殻を破らないといけない」と話していた岡田投手。
投げられない状況の中で、考え方に変化が出てきたと言っていました。

 

「血行障害との付き合い方は、血圧と同じような感じで、高い日もあれば低い日もあるし、血流も良い時もあれば悪い時もある」と言っていた岡田投手。
完治はないと思っているのだそうで、血行障害を受け入れて、その付き合い方を考えているのだそうです。

 

以前は、「昔の自分を追いかけているときは良くなかった」のだそうで、「今の自分はこれしかできない」と現実を受け止めることから前に進んだのだそうです。
そして、2018年にナゴヤドームで復活マウンド。
左手に息をかけながら投球する姿がありました。

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文字を書くのは “右” !?岡田俊哉の左利き事情とは


出典:「http://gree.jp/」

岡田俊哉投手は生まれながらの左利き。
「気がついたら左で投げていた」という岡田投手。ボールを投げるのも初めから左だったのだそうです。

 

野球を始めるとき、打つときは左の方が一塁ベースに近くて有利というので右利きでも左で練習していく子は少なくないです。
しかし、投げるのは左利きだと守れるポジションは限られているので、右にする人もいます。

 

岡田投手は、橋を持つのは左といいますが、文字を書くのは “右” でボールを蹴るのも右。
投げるのも右にするという選択肢もあったかもしれませんが、今ではピッチャーとして活躍する岡田投手にとっては左で続けてよかったのかもしれません。

 

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子供と嫁と旅行へ!?父親としての岡田俊哉とは


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岡田俊哉投手が結婚をしたのは、2012年10月29日。相手の和歌山県田辺市出身の麻賀さんは、保育士をしていた人なのだそうです。
早くに第一子も誕生していて、岡田投手は20歳で父親に。

 

そんな岡田投手は以前、旅行に行くのが好きだと話していたことがありました。
それは、一人で旅行に行くのも好きなくらい。
東京遠征でオフがあったときには、ディズニーランドに子供を連れて行ったこともあったといいます。

血行障害という壁も立ちはだかった岡田投手でしたが、こういう家族も頑張れる力になっているのかもしれません。

 

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