『妻と子供の存在が』内川聖一が母親&父親と歩んだ7つの家族物語


出典:「https://instagrammernews.com/」

内川聖一選手が苦しかったとき、妻・翼さんが話してくれたこととは。
子供の頃からなりたかったアナウンサーを辞めて、近くで支えてくれた奥さんの姿が内川選手の隣にありました。

 

「野球をやってほしくなかった」という母・和美さん。
「この家庭環境の中に野球をやらない選択肢がどこにあるんだと思う」と笑う内川選手ですが、そんな両親の心配の裏に、内川選手が難病に苦しむ姿を見てきたことがあるのかもしれません。

今回は、内川聖一選手の妻や両親など、家族とのつながりを『7つの家族物語』と題してご紹介します。

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「野球をやってほしくない」!?内川聖一と両親の想いとは


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「野球はやってほしくなかった」と母・和美さんから言われるという内川聖一選手。
内川選手は、「この家庭環境の中に野球をやらない選択肢がどこにあるんだと思う」と笑っていたことがありました。

 

そんな内川選手が野球と出会ったのは、物心つく前。
当時、高校野球の監督をしていた父・一寛さんの影響もあって、2歳か3歳のときにはバットとボールを持っていたのだそうです。

 

なので、子供の頃に遊びに行くといえば、父が監督をしている高校の試合を見に行くこと。
内川選手にとって野球はいつも身近にあるものだったのです。

 

素振りは1日300回!内川聖一の少年時代とは


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内川選手が本格的に野球チームに入ったのは、小学2年生の頃。
松岡少年野球クラブの監督・小野三男さんが、当時の内川選手について語っていました。

 

「人間性にしても、一生懸命に練習もする。内川選手みたいな人はいない」と小学生時代からその野球に取り組む姿勢はずば抜けていたのだそうです。
この頃から内川選手の手はマメだらけだったようで、素振りは一日300回。それくらい野球が好きだったのです。

 

父はそんな内川選手を見て、クリスマスには野球のボール1ダースを枕元に置くということも。
一寛さんは法政大学や東芝で野球をしていた人。内川選手がこれだけ野球に打ち込んでいるのが、本当に嬉しかったのかもしれません。

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こんなにたくさん!?内川聖一がしていた習い事と両親の努力とは


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そんな内川選手の少年時代。
両親は野球だけでなく、色々な習い事をさせていたと言います。
内川選手がどういうことに興味を示していくのかわからないので、色々させていたのだそうです。

 

英会話や書道、スイミングなど何に興味を示していくのか。
しかし、内川選手は本当に野球が好きだったようで、他のことに興味を示しませんでした。

 

親が何を習わせるかというのは、子供がどういう方向へ進むのかを左右する大事なことだと思います。
小学生の頃は、当然自分で考えられる選択肢はあまり多くないです。

なので、親がどういうものを見せるかによって、子供の興味の選択肢が変わります。
それでも内川選手は “野球をしたかった” というので、両親のこういう努力のおかげなのかもしれません。

 

親子二人三脚の練習法 “丸太打ち” とは


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内川選手を変えたのは、高校時代だったのかもしれません。
父・一寛さんが監督をしていた大分工業高校へ進学。
当時の内川選手は、他の高校生よりは野球のレベルが全然上だったといいます。

 

なので、内川選手が普通にホームランを打っても、褒めることもしなかったという一寛さん。
もっと高いレベルを期待していたのです。

 

それから一寛さんと内川選手は親子二人三脚で “右打ち” を練習。
丸太を立てて、丸太が倒れる方向でバットの当て方を覚える、”丸太打ち” という練習法に取り組んだのです。

 

プロ野球で “右打ち” で活躍を続ける内川選手。
この高校時代の練習が、今でもその活躍を支えています。

 

高校時代の難病と母・和美さんの心配とは


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しかし高校1年の秋、内川選手は骨嚢腫(こつのうしゅ)という、踵に穴があく難病を経験しています。
苦しいリハビリと3回の手術で、約1年間のブランクがあった内川選手。

 

そういうリハビリをする内川選手の姿を見ていたことがあったからでしょうか。
母・和美さんはいつも、「怪我だけはしないで」ということを願っているのだと話していたことがありました。
和美さんは内川選手がプロで活躍する今でも、試合前には仏壇の前で線香をあげているのだそうです。

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『妻と子供の存在が』内川聖一を支えた奥さんの言葉とは


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内川聖一選手は気持ち的に辛い時期を経験しています。
それは、ベイスターズからFA権を行使してホークスへ移籍したときのこと。

 

当然ながら、横浜のファンであれば違うチームへ行ってしまう内川選手へ良い印象は抱かないかもしれません。
「どう説明してもたたかれる」と当時の内川選手は喋ることの難しさを痛感したと悩んでいたのだそうです。
そんなとき、元アナウンサーで報道する側の人だった妻・長野翼さんが、いろいろな話をしてくれたといいます。

 

翼さんにとってアナウンサーは子供の頃からなりたかったもの。
結婚するとき内川選手は、翼さんにアナウンサーを辞めて福岡に来てもらって良いものか悩んだそうです。
それでも翼さんは、「仕事を辞めてもそばで支えたい」と一緒にいて支えてくれました。

 

“引退” が近づく!?ゴルフのスペシャリスト・内川聖一


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2018年に2000本安打を達成した内川聖一選手。
「2000本は本当に自分の中で大きいこと」と言っていて、そのあとの打率の急降下はこの気持ちの整理がつかなかったことではないかと思ったほどです。
2000本安打というのはプロ野球選手にとってはとても大きな区切りで、達成したら打てなくなってしまうという人も少なくないのかもしれません。

 

そして、内川選手を語る上で欠かせないのが、”ゴルフ”。
内川選手は常に80台を出しているぐらい、チームきってのゴルフ好きなのです。

 

300ヤードも軽々飛ばしているという内川選手。
毎年のホークス納会ゴルフでは「気合しかない」と張り切って打っている姿があったり、オフシーズンはゴルフが楽しみな人です。

 

36歳になった内川選手ですが、そろそろ “引退” という文字がちらついてくる年齢。
しかし、ゴルフ漬けの日々を送るにはまだまだ若すぎます。これからまだまだ活躍する姿を見たいです。

 

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