兄弟一のやんちゃ坊主だった!?上沢直之の性格がわかる7つの証言
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上沢直之投手が奮起した親友の一言とは。
上沢投手は中学で野球を始めてから、6年間という短期間でプロ野球選手になりました。
その影には親友や恩師など、周りの人の支えがあります。
上沢投手の性格はピッチャー向きなのかもしれません。
その理由が上沢投手の中学時代の卒業文集にありました。
今回は、意外な上沢投手の性格がわかる『7つの証言』と題して、周りの人の証言からその性格を紐解いていきます。
目次
上沢直之の里帰りからわかる性格:本人の証言とは
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上沢直之投手は千葉県松戸市出身。
千葉県の北西部で都心から電車で約30分とアクセスの良いベッドタウンです。
その帰省の様子が放送されていたことがありました。
「年末年始しか帰ってこられない」という実家での上沢投手の過ごし方からその性格がわかります。
「野球やっていない時は何も考えたくない。めんどくさい、全部が。」と話す上沢投手。
家ではYouTube見ながらソファでぐったりしているといいます。
みかんが大好物でずっと食べているようでした。
上沢投手って以前、忘れっぽくて昔はよく忘れ物をしていたと話していたこともありますが、めんどくさがり屋だったり野球以外ではそんなにきちんとした感じの性格ではないかもしれません。
しかし、そんな性格だからこそ、周りの人との関わりの中でここまで成長してきたのかもしれないです。
(上沢投手とは反対に、休日はきちんと計画を立てる西川遥輝選手の記事はこちらから読めます。)
兄弟一やんちゃだった!?上沢直之の幼少時代の性格とは
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上沢直之投手は三人兄弟の末っ子。
上に姉の綾さん、兄の将之さんがいますが、野球を始めたのは将之さんの影響で軽い気持ちで始めたのだそうです。
そんな上沢投手は野球を始めた頃、最初は大変だったと言います。
球速は速かったけれどノーコンで、野球経験がなかったからルールがわからなかったと振り返っていました。
踏んでアウトなのかタッチしてアウトなのかもわからず、ツーアウトなのにピッチャーゴロでホームへ投げたことも。
子供の頃はちょっとやんちゃな男の子で、まだこの頃は野球よりもゲームの方が優先でした。
毎日友達の家へ行って、漫画を読んだりゲームをしたり。
(上沢直之投手と同期で仲の良い近藤健介選手の記事はこちらから読めます。)
サッカーに夢中!?上沢直之にとっての野球とは
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そんな少年時代の上沢投手にとっての野球とは、そんなに重要ではなかったのかもしれません。
小学生の頃はサッカーに夢中になっていたサッカー少年で、サッカーの練習の休みになると野球を遊びにきていたと言います。
当時はサッカーと水泳をしていて、その体型は太っていて身体が大きかったので、サッカーではディフェンスのポジションだったのだそうです。
そんな上沢投手が本格的に野球を始めたのは中学時代でした。
プロになる選手は小さい頃から野球をしている人が多いので、上沢投手のように中学から始めて野球歴6年でプロになるという人は稀かもしれません。
(プロ9年目で飛躍した大田泰示選手の覚醒の理由がわかる記事はこちらから読めます。)
上沢直之の中学時代の親友の証言
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そんな中学時代の上沢直之投手と一緒に野球をしていた親友とのエピソードがあります。
そのエピソードはまだそこまで野球に真剣に取り組んでいなかった上沢投手の気持ちが変わるきっかけになったと言います。
それは、その親友の何気ない一言でした。
上沢投手ら数人だけ試合に出られなかったとき、親友が上沢投手にふざけて言った言葉が、「お前も落ちるところまで落ちたな。」と言うものでした。
それに対して上沢投手は、笑っていたけれど、悔し笑いで引きつっていたといいます。
上沢投手はその出来事を「そういう悔しい思いがあったから頑張れた」と振り返っていて、中学3年の時にはエースに成長しています。
(高校時代にプロになると決心したエピソードとは!?鍵谷陽平投手の記事はこちらから読めます。)
上沢直之の性格がわかる、高校時代の恩師の証言!
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6年でプロ入りした上沢投手の成長には専大松戸高校時代の恩師・持丸監督がいます。
上沢投手は高校も家が近かったから選んだのだと、軽い気持ちで選んだことを明かしていました。
しかし、上沢投手はその専大松戸高校で持丸監督に、「ひょっとしたらプロなれるかもしれないからしっかりやれよ」と最初に声をかけられています。
そんな上沢投手を持丸監督は、「入ってきた時は本当にやんちゃ坊主。野球のことなんか何も考えていなかった。」と振り返っています。
その一方で、「手先だけは器用だった。」とその才能も見逃しませんでした。
上沢直之、高校時代の恩師・持丸監督との約束とは
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上沢投手がプロ3年目の2014年に初勝利をあげたとき、その記念ボールは実家に贈り、リビングに大事に飾ってありました。
上沢投手は「どのタイミングで渡したかは全然覚えていないです。」と振り返っています。
高卒3年目で初勝利をあげられる選手はあまり多くないです。
では、なぜ上沢投手が達成できたのでしょうか。
そこには高校時代の恩師・持丸監督とのある約束がありました。
それは、”3年で結果が出なかったら他へ進む” という約束です。
3年という区切りがあったほうが一生懸命になるという持丸監督の考えでした。
漠然とプロの世界も続くと思っていて、ある日突然戦力外通告を受けてから気づく人もいます。
これは上沢直之投手の性格に合っていたのかもしれません。
(高校時代に甲子園初出場を果たしている石川慎吾選手の記事はこちらから読めます。)
中学校の頃の自分の証言:卒業文集に書かれた上沢直之の性格とは
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中学時代の卒業文集に、上沢直之投手が根っからのピッチャー性格だということがわかる文章があります。
それは、「グラウンドの中心にあるマウンドという場所が大好きだった。そこに立つだけで世界の真ん中に季節の真ん中に存在している。そんな気分になれた。」というものです。
ピッチャーは試合を作る役割でその人次第で全く変わってしまうという試合を作らないといけないポジションで、こういう自分が中心にいるという感覚が好きな性格でないとできないのかもしれません。
この文章はあさのあつこさんの『バッテリー』という野球の小説を読んでいて「もろパクリした」と言ってはいましたが、そういうところからすでにピッチャーの性格を培っていたのかもしれません。
ちなみに、この本は僕も子供の頃に読んでいましたが、バッテリー3巻の9ページに書いてある文章と確かにそっくりです。
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