楽天初優勝に隠されたオーナー・三木谷浩史と父&星野仙一 7つの秘話
2013年に初のリーグ優勝&日本一に輝いた楽天。
監督として胴上げをされた星野仙一さんとそのあとに胴上げされていたオーナーの三木谷浩史さん。
そして、その様子を病室から見ていたというオーナーの父・三木谷良一さん。
50年ぶりにプロ野球界に新チーム参入をして、たった9年で初優勝。
新チームを作ることを踏みとどまっていた三木谷さんと、「君みたいな若い人がプロ野球界に参入して新しい風をつくれ」とその背中を押した星野さん。
その優勝の裏には、二人の信頼関係がありました。星野さんがもう一度プロ野球の監督に就任するほど応援した三木谷浩史さんはどういう人なのでしょうか。
今回は、楽天初優勝の裏に隠されたオーナー・三木谷浩史さんと星野仙一さん、そして三木谷さんが師匠という良一さんとの物語を『7つの秘話』と題してお届けします。
目次
相手ファンの僕が応援した楽天の日本シリーズ制覇
2013年の日本シリーズ、僕は相手チームを応援していました。
応援しているチームが日本シリーズへ進出したということで、全7試合をほとんど最初から最後までテレビで見ていましたし、今も録画した第7戦を時々見ることがあるほど思い出に残る日本シリーズでした。
しかし、それほど記憶に残っているのは、僕が応援しているチームが出場したからではありません。
日本シリーズが終わる頃には、楽天を応援している気持ちが半分ぐらいあったのですが、なぜ相手チームファンの僕が「楽天が勝ってもいいな」と思ってしまったのでしょうか。
田中将大投手を最後のマウンドに送った星野監督。
田中投手が勝手に投球練習を始めて、すすんでマウンドに向かったとも言われていますが、ベンチ横にいたオーナーが “星野さんは嬉しそうに審判にピッチャーの交代を告げていた” ということを証言していました。
星野さんを連れてきた!?胴上げされるオーナー・三木谷浩史
出典:「https://www.nikkansports.com/」
そのあと、ポスティング制度でメジャーへ移籍した田中将大投手の起用にメジャー球団から「肩を壊すのではないか」というクレームが届いたということも聞いたことがありますが、なぜそこまでして星野監督は田中投手を送り出して、そこにいたオーナーも止めなかったのでしょうか。
田中投手が怪我をしてポスティングの移籍交渉が破綻してしまうと、球団にも不利益が出てきてしまうかもしれません。
それを超えたものが星野さんやオーナーにはあったのでしょうか。
創設1年目の2005年、圧倒的な戦力不足で勝率3割を切る逆境からスタートしたイーグルス。
それでもずっと黒字経営で切り盛りしてきたオーナーの三木谷さん。
2009年には初めて勝率5割を超えて2位になりますが、翌年に再び再開に。
そんなときにオーナーがダメ元で監督を打診したのが星野さん。
快く引き受けてくれたという星野さんのもとで悲願の初優勝を成し遂げました。
なぜ星野さんは三木谷さんが球界に参入しようとする背中を押して、後に再びプロ野球の監督に就任するほど三木谷さんを応援していたのでしょうか。
ここから、三木谷さんについて考えていきます。
『やろうと思ったら必ず実行する』楽天家・三木谷浩史が受けた父の教育とは
三木谷浩史さんの子供の頃は、先生の言うことは聞かないし宿題はやらない子。
そんな様子を見た父・良一さんは、三木谷さんを私立中学で寮生活をおくらせたのだといいます。
しかし、寮生活に馴染めなかった三木谷さんは、天真爛漫だったその明るさがだんだんと減っていき、実家に戻ったときに「学校を辞めたい」と両親に伝えたのだそう。
それを聞いた父は、その場ですぐに学校に連絡。父親に「人間いつか死んでしまうけれど、自分が好きなことを探して生きていくのが一番だよ」と伝えられた三木谷さんは、地元・明石の学校へ転校すると、明るさを取り戻していったのだそうです。
良一さんの父は28歳という若さで他界しているのだといいます。
それから母親に育てられた良一さんは、家計が大変な中で一所懸命勉強してい神戸大学に入り、博士まで進んで最後は名誉教授に。
大変な時期を過ごしてきた良一さんだからこそ、好きなことをしていく大切さを三木谷さんに教えていたのかもしれません。
三木谷さんが卒業文集に書いていたのは、「やり残したことがないように、やろうと思ったら必ず実行する」という文章。
病気で入院していた良一さんはテレビの前で楽天が初優勝をして息子が胴上げされている姿を見ていたのだそう。
日本シリーズから2ヶ月後に良一さんが他界。三木谷さんは、以前病室を訪れたときに両親と一緒に撮った写真がある番組で映っていました。
『あの15年よく耐えた』三木谷浩史が育ったのは苦境の名家
そんな三木谷さんには、先祖から伝えられている “強い芯” があるのだといいます。
三木谷さんは、徳川四天王の一人で徳川家康の側近だった本多忠勝の末裔。
しかし、江戸時代には名家であっても、明治時代になると土地を国に返還して無収入に。
歴史に名前の残るような家でも、明治以降は苦境に立たされることばかりだったのだといいます。
特に三木谷さんの父・良一さんで三木谷さんの祖父が28歳の若さで他界してからは、三木谷さんの祖母ががタバコ屋で生計を支えながら良一さんを大学に行かせていたのだそう。
それでも家が大変な時期も、三木谷さんが子供の頃にもよく両親に連れて行かれていたという場所があります。
それは、今も残っているという本多家の跡地。
「どれだけ貧しくても誇りだけは忘れてはいけない」という強い芯が伝えられてきたのだそうです。
浮き沈みの激しくて大変な時期を乗り越えてきた家系で育ってきたオーナーの三木谷さん。
イーグルスがプロのレベルになかった1年目からたった9年で優勝した裏には、20歳も年の離れた星野さんからも応援されるようなオーナーの強い芯があったのかもしれません。
日本一の快進撃を支えた!?三木谷浩史と星野仙一の信頼関係とは
出典:「https://www.sponichi.co.jp/」
三木谷さんが星野さんに初めて会ったのは、2004年のこと。
三木谷さんがプロ野球の新チームを作ろうとしていたときのことでした。
しかし、プロ野球への参入は50年間誰もやっていなかったことで、プロ野球の崩壊危機と言われたあの時期であっても、新しく入っていくのは大変なことだったと思います。
踏みとどまっていたという三木谷さんのプロ野球に参入する決意を後押ししたのが、星野さんに言われたという「君みたいな若い人がプロ野球界に参入して新しい風をつくれ」と言われたことだったのだそう。
そして新チームを作ってから5年経ったとき、低迷していたチームの監督を打診された星野さんが快く引き受けてくれたのだそうです。
それから星野さんが就任して3年目の2013年に初優勝と日本一を達成。
監督を勇退してからは、膵臓がんでなくなるまでイーグルスの副会長としてチームを見守ってきて、星野さんがつけていた背番号77はイーグルスでは初の永久欠番になっています。
『やり残したことがないように』三木谷浩史が光免疫療法を支援する理由
父の良一さんと星野さんの闘病を見ていた三木谷さん。
僕の周りにも二人と同じ病気で闘病をしている方がいますが、三木谷さんが個人的に支援してきたという光免疫療法はとても大きな希望です。
先日ノーベル賞を受賞した本庶教授も免疫療法という言葉が使われていましたが、同じ “免疫療法” と名前のつく他の治療法とも違うアプローチのもの。
この技術はがんを治る病気にすると言われていますが、三木谷さんがこれだけ支援に力を入れているのは、父や星野さんを身近に見てきたことが大きく影響されているのかもしれません。
子供の頃から「やり残したことがないように、やろうと思ったら必ず実行する」という想いを持ってきたという三木谷さん。
イーグルスの初優勝も地元のクラブを持ったことも、三木谷さんが力を入れることの先にはいつも想いがあるのかもしれません。
“隠れ楽天ファン” の僕がイーグルスを応援する理由
出典:「https://number.bunshun.jp/」
2013年の初優勝を観て以来、僕は楽天を密かに応援しています。
東北まで応援に行くことは遠くてなかなかできませんが、身に付けるものなど身近なところで “楽天ファン” という想いを密かに表現しています。
例えば、イーグルスデザインの楽天カード。
メインで応援しているチームのデザインのカードも他社であるのですが、機能性という点でもこちらを選びました。
Edyも付けていてコンビニや書店で使っているのですが、やっぱり応援しているチームなので使う度に少し嬉しい気持ちにもなります。
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