良縁を繋いだ兄貴分とは!?藤平尚真の母&祖父と歩んだ7つの家族物語


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藤平尚真投手の “兄貴分” とは。
田中将大投手とも自主トレを共にする藤平投手。楽天には引き継がれている伝統のようなものがあるのかもしれません。
その恵まれた『良縁』の力とは、一体どういうものなのでしょうか。

 

藤平投手が幼い頃から指導を受けてきた、”ある人” の存在とは。
左で投げたり、左で素振りをするのには、ある理由がありました。

今回は、藤平尚真投手を『7つの家族物語』と題して紐解いていきます。

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藤平尚真の両親との関係がわかるエピソード


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ドラフト会議の直後に藤平尚真投手が語ったことは、「家族というのは、一番支えてもらった方なので、一番最初に家族の顔が浮かんできました」
藤平投手にとって家族の存在は、とても大きなものなのだといいます。

 

藤平投手は一人っ子で甘えん坊だったという話も。
しかし、両親はそんな藤平投手にも決して甘やかさないで、言葉をかけていることも。
それがわかるエピソードがあります。

 

それは、ドラフト会議の直後に藤平投手が両親へ電話で報告した時のこと。
母・直美さんが祝福の言葉をかけた後に父へ。
父・武美さんがかけていた言葉は、「期待に応えるような選手にならなきゃダメだからな」「明日から気持ち切り替えて」

 

祝福の言葉をかけた後に伝えていたことでしたが、ホッとした感情が出ていた藤平投手へかけた言葉。
藤平投手は自分自身の考え方もきちんとしている人ですが、こういう父親の言葉の端々も藤平投手の人柄を育てたのかもしれません。

 

藤平尚真がジュニアオリンピックを制覇した “意外な競技”


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そんな藤平投手は子供の頃から運動神経抜群。
それがわかるのが、中学3年生の頃に見せたジュニアオリンピックでの出来事。

 

藤平投手はこの時、走り高跳びの選手としてジュニアオリンピックを制覇していたのだといいます。
そこへ向けた練習は、たったの2ヶ月半。
その類稀な新しいことへの適応力も見せていたのです。

 

高飛びは、身体のバランスがより重要な競技。
自分自身の身体の使い方を把握していないと、飛べないものでもあると思います。

中学3年生で、すでに藤平投手は身体の使い方やバランスが飛び抜けていたのだといいますが、それはどこから生まれていたのでしょうか。
そこには、祖父の教えがあったのかもしれません。

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藤平尚真が受けた祖父・鎌田幸一さんの指導とは


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祖父・鎌田幸一さんは、藤平投手が小学生時代に少年野球の監督をしていた人。
藤平投手は、自宅でも二人三脚で毎晩指導をしてもらっていたのだといいます。

 

そんな幸一さんが指導するときに、大切にしていることがあります。
それは、「バランス」をとるということ。
ボールを投げる時もバットを振る時も、バランスを大事に練習をしていくということをいつも言われていたのだそうです。

 

藤平投手は小さい頃から、左で投げたり左で素振りをしたり、バランスを心がけて練習から取り組んできたのだといいます。
藤平投手は「今でも心がけている」と話していて、マウンドで投げている姿を見ただけでも、あまりぶれることなく、そのバランスの良さがわかります。

 

「本当に悔しい気持ちでした」藤平尚真が経験した挫折とは


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甲子園で活躍するピッチャーの中には、2年生の冬に人一倍練習している人が少なくないです。
そして、そういう人はたいてい、冬の前の夏の大会で悔しい負けを経験していることも。

 

藤平投手は、横浜高校時代に1年生の春からベンチ入り。2年生からはエースナンバーを背負っています。
エースとして臨んだ夏の神奈川大会決勝でも5回からマウンドへ。
そこで打ち込まれて、その夏に全国制覇した東海大相模高校に大敗しています。

 

試合後には「エースとして臨んで、自分の力が何も及ばなかったのが、本当に悔しい気持ちでした」とコメントしていた藤平投手。
その後から冬にかけて、トレーニングに力をいれていました。
“身体全体でストレートを” という目標を掲げて、体幹トレーニングをはじめ、日が落ちた後にも走り込んだりバイクを漕いでいる姿が。
この冬が終わると体重が10キロ増えていて、ユニフォームのサイズが上がったほどの変化だったのだそうです。

 

(田中将大投手と里田まいさんのニューヨーク生活がわかる記事はこちらから読めます。)

 

藤平尚真の背負った横浜高校の背番号1の意味とは


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そして、4月に臨んだ春の神奈川大会。
しかし、それまでエースナンバーを背負っていた藤平投手の背番号は「10」でした。
これは平田徹監督のメッセージだったのだといいます。

 

「去年の夏から当たり前のように背番号一番をつけるということは、彼の成長につながらないと思うところもあった」という平田監督。
松坂大輔投手や涌井秀章投手のような名選手が背負った横浜高校の背番号1は特別なものだといいます。

 

「そこでまた藤平が奮起してくれればいいなという期待を込めていました」という平田監督でしたが、藤平投手はその期待以上の活躍。
チームを優勝へ導いて、夏の大会では再び背番号1を背負うことになります。

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楽天の伝統!?藤平尚真の兄貴分とは


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藤平投手が楽天ゴールデンイーグルスへ入団すると、その泉犬鷲寮の部屋は「出世部屋」と言われる「10号室」
田中将大投手が新人時代から3年間住んでいた部屋です。

 

さらに、初めての石垣島春季キャンプでは、3歳年上の松井裕樹投手と同部屋。
藤平投手は松井投手のことを、野球のこともプライベートのことも一番相談する人といいます。
その松井投手は則本投手のことを “兄貴分” と表現していて、石垣島キャンプで同部屋だった時からずっと面倒を見てもらってきたのだそう。

 

楽天へドラフト一位で入団した人たちの伝統のようなものなのでしょうか。
藤平投手は、一年目のオフの自主トレでは、則本投手の “兄貴分” でもある田中将大投手の合同自主トレにも参加しています。
藤平投手のはいろいろなところで、良いご縁がある人。それらはどこから生まれているのでしょうか。

 

「本当に良い人に恵まれて」!?藤平尚真の『良縁』


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藤平投手は仲間や周りの人を大切にしていて、良い縁に恵まれているのがわかります。
藤平投手の母・直美さんは美容室を経営していますが、その名前は『縁』
藤平投手はここで髪を切ってもらってきたといいますが、両親のご縁を大切にする教育から藤平投手は良縁の大切さを教わってきたのかもしれません。

 

高校時代には食事を作ってくれる寮母の元美さんや平田徹監督、チームメイトなど、たくさんの良いご縁に恵まれてきた藤平投手。
プロで奮闘する今でも、田中将大投手らを育てた佐藤義則コーチとの出会いもあったり、良縁に恵まれる運を持っている人なのかもしれません。

 

(僕がこっそりイーグルスを応援する理由!オーナーの三木谷浩史さんと楽天初優勝の物語はこちらから読めます。)

 

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