兄弟は年功序列でトップは姉!?田中広輔の知られざる7つの家族物語
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田中広輔選手は5人兄弟の長男で上から2番目。
子供の頃は兄弟が多かったからこそ、賑やかな一方で大変なことも。
しかし、その兄弟を束ねていたのは意外な人でした。
そうは言っても、田中選手をいちばんしているのは両親です。
田中広輔選手はデッドボールも多い選手で、これまでにも痛そうな怪我を重ねてきました。
これを田中選手の両親はテレビで見ていたのかもしれませんが、気が気でなかったのではないでしょうか。
そんな両親は田中選手の作ったあるものをお守りがわりに大切にしているのだそうです。
今回は、子供の頃からエピソードがたくさんの家族についての7つの物語をご紹介します。
そこからは奥さんと田中選手の関係も見えてきます。
目次
田中兄弟は年功序列!?田中広輔が頭が上がらない人とは
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田中広輔選手は5人兄弟の2番目の長男。
兄弟仲の良い賑やかな家庭で育ちました。
そんな田中兄弟には上下関係のようなものもあったといいます。
それは、年功序列とも言えるものです。
田中広輔選手は2番目なので、上の姉・沙織さんがいちばん年功を積んでいることになります。
田中兄弟はその中で男3人が騒がしかったそうで、以前テレビに出ていた沙織さんは、そんな弟たちのことをこう振り返っていました。
「下の弟たちと一緒になって、まあドッタンバッタン騒々しい」「いい加減にしろよ」と怒っていることもあったのだとか。
田中選手含めて兄弟は「お姉ちゃんには頭が上がらない」というほど姉が兄弟をまとめていたのだそうです。
(男4人兄弟の大瀬良大地投手の記事はこちらから読めます。)
田中広輔は料理男子!?中学時代に毎朝担当していた意外なこと
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5人兄弟なので、両親はそれだけ子育てや日常生活の世話も大変だったと思います。
そんな中で、田中広輔選手は中学時代に兄弟三人分のお弁当を担当していたといいます。
それについて田中選手は、「好きな食べ物を自由に入れることができるし、何より料理するのが面白かった。」と振り返っていました。
それでも毎朝6時ぐらいに起きて作っていたというので子供ながらに立派です。
普通の子なら学校に行く直前まで寝ていたいと思ってしまいそうです。
そんな田中選手にはお弁当のこだわりもあって、冷凍食品は1つまでと決めていたのだそうです。
あとは玉子焼きやウインナーを焼いたり、ピーマン炒めたりいろいろ作っていたといいます。
(料理は苦手!?西川龍馬選手の性格がわかる記事はこちらから読めます。)
男三人兄弟で走り回る!?幼少期の田中広輔
田中広輔選手は今ではカープの切込隊長。
リードオフマンのお仕事をしていますが、そのリーダーシップは子供の頃から磨かれてきたものかもしれません。
幼少期から元気で活発だったという田中選手は、小さい頃からみんながついて行くようなリーダーシップの素養があったという証言もあります。
それも幼少期から、ティーバッティングをしている時はここに投げてほしいあそこに投げてほしいと伝えたり、自分なりに工夫をして練習をするという成熟ぶりです。
保育園時代から自分から父親に「野球やる」と言って野球を始めた田中選手。
弟たちを連れて、男の子3人で朝から大きな声を出して野球していたのだそうです。
そんな幼稚園の文集を見ると、『好きな色は赤』と書かれています。
この頃からカープの赤をあげていました。
弟の一人・俊太が巨人へ!厚木市では異例の取り組み!?
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そんな弟の一人・俊太選手が2017年のドラフト会議で巨人から指名されました。
田中広輔選手は「嬉しいですし、早く同じ舞台でプレーできたらなと思っています。」と語っていましたが、早くも2018年にそれが実現しました。
僕も田中俊太選手を試合でプレーしているのをよく見ますが、兄・広輔選手にびっくりするほど似ています。
やっぱり弟なんだなあと思ってしまうほどですが、兄を目指しているのかなあとも思ってしまいます。
そんな俊太選手は2018年9月11日にプロ初ホームランも打っていて、もう一人前の選手として活躍を始めています。
そんな田中兄弟の出身でもある神奈川県厚木市は2人を応援する取り組みを始めていました。
市の職員が手作りで二人のポスターを作成。
市役所や田中兄弟の地元の公民館をはじめとする市の施設に張っているのだそうです。
父・正行さんはあの大物の後輩!田中広輔にとって大きかった父の存在とは
田中兄弟の父・正行さんも高校球児でした。
それも、田中兄弟と同じ東海大相模高校で同じショートを守っていました。
さらに驚きなのが、正行さんは前の巨人の監督でもある原辰徳さんの2つ後輩ということです。
そんな正行さんは田中広輔選手がボーイズリーグ時代にはコーチをしていました。
父に連れられて幼い頃からグラウンドで過ごすことが多かったと話す田中選手ですが、「自然と野球に熱中するようになる環境だった」というように父親の存在は大きかったのではないでしょうか。
やっぱり父親が野球選手だったというのは、子供の上達にとっては重要な要素だと思います。
中には物心つく前にボールを持っていたというプロ野球選手もいますが、そうでなくても親が野球を教えられるのは小さい頃は特に上達が早いかもしれません。
「一番の応援団長」両親が大切にしているものとは
田中広輔選手はデッドボールが多かったり、怪我をすることも度々ありました。
そういうところを両親は心配しているのだそうです。
以前、田中選手の母・由美さんが大切にしているというものを紹介していました。
それは、田中選手が小学校6年の時の工作の人形。
タイトルは「世界への第一歩」というもので、そのモデルはイチロー選手。
両親はプロで活躍する息子の姿を重ねているといいます。
父・正行さんは「夢描いていたものがこの形になっているのかなあ。」
母・由美さんは「壊れると怪我すると行けないので修理しながら飾っている。」
と言っていて、大切にお守りがわりにしているのがわかります。
(両親の異色の経歴とは!?アドゥワ誠投手の記事はこちらから読めます。)
おしどり夫婦!?妻・亜子さんと田中広輔
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田中広輔選手はプロへ入ったばかり頃に高校時代からお付き合いしていた亜子さんと結婚しています。
結婚を発表したときはプロ入りが決まったときで、そのときは田中選手は「新人合同自主トレに集中したい。」、亜子さんは「時間ができたときでいいから。」と新婚旅行も見合わせていたほどお互いのことはわかっているような関係でした。
そんな田中夫妻はチームメイトからも仲が良いという評判があります。
休日には街へ一緒にショッピングへ出かけているのだそうです。
(地元・米子の方と結婚した九里亜蓮投手の性格がわかる記事はこちらから読めます。)
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