高校時代は両親が意外な夢を!?前田健太が子供の頃に培った7つの性格
前田健太投手の両親が甲子園で夢見ていた意外なものとは。
PL学園に進んだ前田投手にとって、甲子園でのバッテリーは特別なものでした。
その理由は一体どういうものだったのでしょうか。
前田投手が幼少期に10年近く、あるスポーツを習っていました。
そのスポーツはメジャーリーグへ移籍した今でも前田投手を支えているのかもしれません。
そのマエケン体操との意外な関係とは。
今回は、ドジャースで活躍する前田健太投手に今でも活きている、子供時代に培った “7つの性格” をお届けします。
目次
カレンダーが “だんじり” 中心に回っている!?前田健太が待ちわびていた “だんじり祭り”
前田健太投手の出身は大阪府忠岡市。
その街のシンボルは大正時代から100年続く “だんじり祭り”。
街のカレンダーは必ず10月始まりで、そのだんじり祭りが中心に回っているのだそうです。
そのだんじり祭りは毎年の10月の第二土曜日曜に開催。
学校の生徒のほとんど全員が参加しているお祭りで、前田投手もそれが楽しみでいつも待ちわびていたといいます。
その日は大人から子供までみんなが街に4台ある “だんじり” と一つになる日。
そんな待ちで育った前田健太投手はどんな下積み時代を過ごしてきたのでしょうか。
幼馴染と一緒に生まれた!?前田健太と野球との出会いとは
出典:「https://vk.sportsbull.jp/」
前田健太投手の野球との出会いは小学2年生の頃。
幼馴染の仲谷龍二さんに誘われたことがきっかけでした。
仲谷さんは前田投手と母親同士が友達で、二人は一緒に生まれた仲。
前田投手がピッチャーで、仲谷さんがキャッチャー。
そこから二人でずっとバッテリーを続けることになります。
(地元・糸島市の幼馴染と結婚した一岡竜司投手の記事はこちらから読めます。)
前田健太がしていた習い事とマエケン体操の意外な関係とは
出典:「http://column.sp.baseball.findfriends.jp/」
ここで、前田健太投手がしていた習い事があります。
それは、2歳から13歳まで10年以上していた水泳。
背泳ぎで西日本一になったこともあるというトップ選手でした。
他にも1歳から器械体操をしたり、空手を習ったり、基本的にスポーツは全部好きでやりたいことをやらせてもらっていたといいます。
それらは、体の感覚、強さ、バランスという色々なところで役に立っているのだそうです。
その中でも水泳は肩周りが柔らかくなったといいます。
それがわかるのが “マエケン体操”。
確かにあの腕を回しているのは一見すると変な動きですが、言われてみれば水泳の動きのようにも見えてきました。
小学校時代の前田健太と常勝軍団 “イーグレッツ” !?
出典:「https://www.nikkan-gendai.com/」
前田健太投手が小学生時代に所属していたチームは、岸和田イーグレッツ。
年間100試合以上はやって、優勝メダルを1年に20〜30個もらえるぐらいの強豪です。
前田投手が6年生のときの成績は、91勝15敗。
前田投手と仲谷さんのバッテリーが引っ張る、優勝するのが当たり前というチームでした。
その監督・今津孝介さんは当時の前田投手を、「あの子は才能よりも努力」と言います。
前田投手は夜遅くまで走り込んでいたのだそうです。
この頃から前田投手はその体力と忍耐力を培っていたのです。
しかし、中学に進み、さらに厳しい環境が始まることになります。
(小学生時代、父が驚きの練習場を作ってしまった中崎翔太投手の記事はこちらから読めます。)
「中学が一番きつかった」マエケンは休日たった2日のメジャーリーグで生き残る体力を培った!?
出典:「https://www.nikkan-gendai.com/」
中学校で所属したのは、忠岡ボーイズ。
前田投手が「一番きつかった」という野球漬けの毎日です。
その練習は、平日は夕方から夜11時まで。休日は早朝から丸一日。
しかし、本当に厳しかったのは、”走ること” だったと言います。
毎日、800メートルの外周を10周、20周、30周と続けないといけない。
コーチの設定タイム以内で走らないといけなかったのです。
その体力をもって、全国大会ベスト4。
前田投手は、日本代表でも世界大会優勝MVPを獲得するまで投げ続けることができました。
今、前田投手はドジャースへ移籍して、シーズン中の休日は2日しかなかったといいます。
しかし、その2日間も家族サービスで、USJとディズニーランドへ行って消えたのだそうです。
それでも「疲れてない」と自分に言い聞かせているという体力。
慣れない環境でもここまでの体力を見せられる忍耐力はこの頃に培ったものかもしれません。
両親が夢見ていた甲子園での意外なものとは
出典:「https://vk.sportsbull.jp/」
前田投手がPL学園に進学した高校時代。
母・幸代さんと父・治茂さんには、二人が口を揃えて語る “夢” がありました。
それは、やっぱり幼馴染の仲谷さんとのバッテリーで甲子園へ行くこと。
幸代さんは「幼馴染というかうちの子」、治茂さんは「朝寝てても龍二が起こしにくる」と、前田投手の両親にとっても二人とも息子のようなものだそうです。
そんな二人は名門・PL学園で甲子園出場を果たして、前田健太投手はプロ、そしてメジャーへ進むことになります。
(甲子園を制覇したプリンス・堂林翔太選手の記事はこちらから読めます。)
メジャーまできたけれど…!?前田健太の下積み時代にグラブに刺繍されていた言葉とは
そんな前田健太投手のPL学園時代のグローブに刺繍された言葉があります。
それは、”黄金バッテリー”。
この頃に前田投手がどれだけバッテリーにこだわりを持っていたかがわかります。
それは、その甲子園を前にバッテリー二人で作ったグラブとミット。
これが前田投手のプロへ入る前の下積み時代に大切にしたものでした。
(アドゥワ誠の地元愛がわかるグローブとは。)
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