日通での怪我で性格が一変!?メジャーリーガー牧田和久の逆転人生物語


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牧田和久投手の野球生命を脅かした “大怪我” とは。
そしてその怪我から牧田投手が見出した “ワザ” とは一体どういうものだったのでしょうか。
日本通運時代にはオフィスワークもしていた、牧田投手の新しい考え方が見えてきます。

 

今やメジャーで「マキタに出くわしてしまった」と言われるほどメジャーリーガーたちを手玉にとっている牧田投手。
今回は、そんな崖っぷちから這い上がってきた牧田和久投手の『逆転人生物語』をお届けします。

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両親への感謝!牧田投手の野球との出会いエピソードとは


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牧田投手は以前、「ここまでやって来れたのも両親のおかげ」とインスタグラムに投稿。
そんな両親のもと、1984年に静岡県焼津市というカツオが有名な日本有数の港町で生まれました。

 

牧田投手は、小さい頃から活発な男の子で、小川公園という家の近くの大きな公園で友達とよく遊んでいたのだといいます。
ある日、そこのグラウンドで野球チームが練習をしていて、それを遠目から見ていたら「君たちもやるか?」と声をかけられた牧田投手。
次の日から参加させてもらうようになっていたのだそうです。

 

当時の焼津スターズの監督・大畑弘さんが見た牧田投手は、フォームが綺麗でコントロールが良い印象。
ピッチャーをさせようと決めたのだと言っていました。
これが牧田投手の野球との出会い。小学3年生の頃の出来事でした。

 

(父から渡されたグローブがきっかけで野球を始めた高橋光成投手の記事はこちらから読めます。)

 

牧田和久の転機となった、アンダースローへの転向エピソード


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野球に熱中する牧田投手の転機となったのが静岡県静清高校時代。
高校の野球部へ入ったときの牧田投手は、ボールのスピードはなく普通のピッチャーだったといいます。

 

そんな1年の秋、野球部の部長が「ちょっとしたから投げてみろ」と牧田投手へ。
投げてみると、たまたま良いボールがいってしまったのだそうです。
そしてそのまま続けるように言われ、アンダースローに転向。

 

そのとき牧田投手の同級生には140キロを投げる本格派のピッチャーがいて、チームの幅を広げることが転向のきっかけ。
しかし、2年の頃には2番手からエースへ急成長。
このアンダースローへの転向が牧田投手に劇的な変化をもたらしました。

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メジャーリーガー・牧田和久を支える足腰を作った過酷な練習とは


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しかし、アンダースローは身体に負荷がかかるフォーム。
足腰が強くないとできないと思います。
そんな牧田投手の身体を鍛え抜いたのが、高校時代の過酷な練習でした。

 

「高校の頃はきつかった。ひたすら走っていた」と話す牧田投手。
静清高校のすぐ隣に山があって、まずはそこの頂上まで登って下りてくる。
帰って来たら屈伸1000回をして、80メートルダッシュを50本。
そこから、ハンマーを持ってタイヤを叩くトレーニングと基礎トレーニングは過酷なものでした。

 

しかし、メジャーで活躍する牧田投手を見ていると、こういうところで鍛えた足腰の強さが支えていることがわかります。
何気ないきっかけでアンダースローと出会った牧田投手ですが、色々なことが牧田投手の人生の中で繋がっていくことになります。

 

(「中学時代が一番鍛えられた」山川穂高選手の記事はこちらから読めます。)

 

サラリーマンの一面も!?牧田和久が過ごした日本通運での厳しい4年間


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そこから大学を経て、日本通運で社会人野球へ。
これまで20人以上のプロ野球選手を輩出している名門ですが、結果を残さなければ辞めなければならない競争社会です。

 

牧田投手は、午前中はオフィスでお仕事の後、午後1時からグラウンドで練習。
なので、オフィスでの事務も同時に覚えていかなければなりませんでした。
プロ野球のように全てを野球に使えるわけではなく、限られた予算の中での厳しい環境で牧田投手は4年間を過ごしたのです。

 

日本通運でも社会人野球はプロを目指して入っていく人は多いですが、ほとんどの人がどこかで諦めることになると思います。
こういうギリギリの状況の中でプロ野球へ進んだ牧田投手ですが、そこからさらに這い上がってメジャーリーグへ挑戦しているのは本当にすごいことです。

こういう環境でプロへの声がかかるのは本当に稀なケース。
そんな中、日本通運での牧田投手は大怪我をしてしまいます。

 

(トヨタで出会った恩師との意外な練習法で飛躍した源田壮亮選手の記事はこちらから読めます。)

 

野球生命の危機!?牧田和久の初めて経験した大怪我


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それまで牧田投手は大きな怪我をしたことがありませんでした。
1年目からローテーションの柱として活躍。そして迎えた2年目に、牧田投手は初めての大きな怪我をしてしまいます。
右膝前十字靱帯断裂という野球生命を脅かす大怪我で、このときは2008年11月14日の社会人野球日本選手権大会1回戦でのことでした。

 

「チームに申し訳ないし不安だった」と振り返っていた牧田投手。
活躍できなければやめなければならない環境の中で復帰まで1年に及ぶリハビリ生活。
プロへの夢が大きく遠のいてしまったのが気持ちにのしかかったのか、チームメイトの前で怪我の報告をした時に牧田投手は大泣きをしてしまったのだそうです。

しかし、この大怪我がこの後の牧田投手を飛躍させることになります。

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牧田和久がリハビリ生活の中で見出した、新しい”考え方” とは


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このリハビリ生活の中、牧田投手は「一度グラウンドから離れて俯瞰してみることができた」のだと語っていました。
それまで自分のテンポで淡々と投げていた牧田投手。
「もうちょっとこういう風に考えて投げたらいいんじゃないか」とピッチングフォームの強弱だとか、同じボールでも強弱をつけることによってバッターのタイミングがずれたりすることを学んでいったのです。

 

「ただ投げるのではなく、一球一球考えて投げることで結果が変わってくることに気づいた」
牧田投手はこのリハビリ期間に投球術を覚えることができたのだそうです。

 

そして復帰した翌年に成績が劇的に向上。
26歳で西武ライオンズからドラフト指名を受けて夢を叶えました。

 

(考え方が変わった祖父とのエピソードとは!?今井達也投手の記事はこちらから読めます。)

 

メジャーリーガー・牧田和久の知られざる投球術とは


出典:「https://number.bunshun.jp/」

牧田投手はプロでも投球術を磨いて、メジャーリーグへ挑戦。
そのワザにはメジャーリーガーたちのタイミングをハズす、牧田投手の工夫が見られます。

 

まずは、”クイックモーション” と “スーパークイック”。
ピッチャーはランナーが出ると、クイックモーションで投げます。
しかし、牧田投手はランナー関係なく、クイックモーションで投げたり、スーパークイックと名付けるさらに速いフォームで投げています。

 

アンダースロー特有の “ハイボール” と呼ぶボールで、バッターの目の錯覚を使ってバッターに考える隙を与えないというワザも。
「自分は鋭い変化球も持っていないし、キレのあるストレートも持っていない」と投球フォームの強弱や緩急でどうすれば抑えられるかをいつも考えているのだそうです。

 

野球生命の危機からプロ野球へ進み、メジャーリーガーになった牧田投手。
メジャーリーガーを翻弄する姿がまだまだ楽しみです。

 

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