大瀬良大地が家族で大切だった人とは!優しい性格が分かる7つの物語
僕が大瀬良大地投手を初めて見たのは、ドラフト会議でした。
その大瀬良投手を語る上で欠かせないのが、その性格です。
“優しい” と言われる大瀬良投手ですが、その性格は小さい頃から周りの人たちに愛されて培ってきたものかもしれません。
その人生の中で、大瀬良投手にとって大切な存在と呼べるような人が何人も登場します。
その別れも経験してきた大瀬良投手だからこそ、気持ちの面で壁にぶつかって、悩みながら成長しているのかもしれないです。
その大瀬良投手の大切な存在とはいったい誰なのでしょうか。
今回は、『7つの物語』と題して、その優しい性格がわかるエピソードをご紹介します。
目次
大瀬良大地は気持ちが重要な性格!?壁にぶつかるたびに見返すものとは
出典:「https://number.bunshun.jp/」
大瀬良投手はボールに気持ちを込めることにこだわってきました。
それは九州共立大学時代、当時大人しかったという大瀬良投手のボールを見た監督が、それに魂が乗り移るような気持ちの入るボールを指導したことから始まりました。
黒田博樹さんがカープに復帰したとき、大瀬良投手はツーシームを教えてもらっていましたが、それでもボールに気持ちを乗せて投げることを意識することを重要視しているといっていました。
そんな大瀬良投手は壁にぶつかるたびに見返すものがあります。
それは、カープで以前 “炎のストッパー” と言われた津田恒実さんが投げる映像です。
大瀬良投手は大学時代から憧れていると語っていて、真っ向勝負は津田さんから学んでいます。
背番号でつけている『14』も津田さんのつけていた番号なので、思い入れを持って希望したのかもしれません。
(何度も壁にぶつかって、何が起こるかわからない人生を乗り越えてきた一岡竜司投手の記事はこちらから読めます。)
大瀬良大地がしている意外な験担ぎとは
出典:「https://number.bunshun.jp/」
大瀬良投手はホームゲームで先発する日は、球場へ行く前に、意外な験担ぎをしていると話していました。
それは、神社にお参りに行くというものです。
これは2017年から始めたと言っていましたが、ずっと結果が良いので続けているのだそうです。
僕も神社は好きでよくお参りに行きますが、お参りするとけっこう気持ち的に落ち着いたりもします。
大瀬良投手のようにプレッシャーのかかるお仕事には良いかもしれません。
(野村祐輔投手が験担ぎをしない意外な理由とは!?)
大瀬良大地は神経質な性格だった!?
出典:「https://number.bunshun.jp/」
大瀬良投手は2015年〜2016年に中継ぎを経験しました。
その経験で「神経質でなくなった」と言います。
以前、ストレートが打たれることの恐怖心から腕を思い切りふれなくなったことがあったそうです。
その時は2ヶ月ぐらい勝てない日が続いて体にも異変があり、登板前日になると蕁麻疹に襲われる時期が続いたと言います。
気持ちを強く持っていても、打たれてしまう残像とか怖さががまさってしまったのだそうです。
中継ぎだと色々な場面で投げに行かないといけない。
マウンドに行ったときに先発ピッチャーの歩幅と自分の歩幅が合わなかったら、その歩幅に合わせて投げることができるようになったと語っていました。
そういうどんな環境でも投げられるようになったことが今の飛躍に繋がったのかもしれません。
大瀬良大地の両親が語る幼少期とは
大瀬良大地は4人兄弟の長男として長崎県大村市で生まれました。
父・禎弘さんは大瀬良投手をその兄弟の中で一番厳しく育てたと話しています。
一方で母・さつみさんは子供の頃の大瀬良投手について、「兄弟思いで本当に手のかからない子供だった」と言います。
弟がよく病院へ行かないといけなかったり、三人も弟がいたり、さつみさんは大変だったかもしれません。
そういう兄弟の長男だったからこそ、こういうしっかりした優しい人柄になったのかもしれません。
そんな大瀬良投手は、大のおばあちゃん子だったといいます。
(姉には頭が上がらない!?田中広輔選手の記事はこちらから読めます。)
大瀬良大地が家族の中で大切な存在だった人とは
出典:「http://column.sp.baseball.findfriends.jp/」
大瀬良投手は「おばあちゃん大好きでした」と語っています。
それは、祖母・喜代美さんの家に行って帰る時には「帰りたくない」と言って泣きながら連れて帰られるほど。
ビデオに録り貯めた戦隊モノを見るのが大好きだった幼少期。
第2子が2歳の時に生まれたから家に来てくれて子守してくれていたのだそうです。
しかし、大瀬良投手が高校生でエースになる頃には祖母・喜代美さんは闘病生活を送っていたと言います。
祖母は一番大瀬良投手がプロになるのを楽しみにしていたそうなのですが、大瀬良投手が大学一年の春季リーグの優勝決定試合の前日に他界。
大瀬良の母親はそれを帰ってこられない状況だったため知らせず、あとで怒られたと言います。
この出来事は大瀬良投手にとって野球人生の中でも大きな出来事で、今でも祖母への想いがあるかもしれません。
九州共立大学の福秀寮での大瀬良大地!もう一人の母のような存在とは
大瀬良大地投手が九州共立大学時代に住んでいた福秀寮。
そこには、大瀬良投手のことはなんでもわかると言われる存在でもある寮母の戸田すず代さんがいます。
ここでは、大瀬良投手は帰って来ると、まずお風呂に駆け込んでいったといいます。
脱ぎ散らかしていくから寮母さんがそれをかけていたのだそうです。
そんな大瀬良投手が心を許してわがままを言える相手でした。
すず代さんは大瀬良投手を「あの子は私の宝です」と語っていました。
大瀬良投手は今でも時々遊びに来るといいますが、ここにも支えてくれる人がいました。
(広島の “おやじ” と慕う人の存在とは!?菊池涼介選手の記事はこちらから読めます。)
大瀬良大地のモテたエピソードとは
そんな大学時代、大瀬良大地投手が語っていた “モテたエピソード” があります。
九州共立大学の隣は女子大だったと言います。
よく仲間で一緒にご飯に言っていたみたいで、大瀬良投手も誘われていたのだそうです。
しかし、周りの仲間が「お前はダメでしょ」と来させてくれなかったと言います。
その理由は「お前がいくと女子が全部お前にいっちゃうから」なのだそうです。
(地元・米子の方と結婚して良かった意外なこととは!?)
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