結婚して父親の後継者には!?外崎修汰とりんご農園の7つの歩みとは
外崎家にとって、外崎修汰選手が生まれたのは衝撃的なタイミングでした。
大変な環境で育った外崎選手でしたが、野球は続けていくことができました。
そしてそこには両親の大変な努力があったのです。
実家が農園をしていると必ずあるのが、”後継問題”。
父が長男の外崎選手に思っていることとは一体どういうことなのでしょうか。
西武ライオンズでも “アップルスター” の愛称で親しまれていて、りんごと外崎選手は切っても切れない間柄です。
今回は、そんな外崎選手がりんご農園と歩んできた人生を『7つの歩み』と題してお届けします。
目次
注文殺到!?外崎修汰の実家は有名な “りんご園”
出典:「http://www.tonosakiringo.com/」
外崎選手の実家があるのは、青森県弘前市。
両親は『外崎りんご園』を営むりんご農家です。
そのホームページを見てみると、”ただいま注文が殺到していまして” の文字が。
外崎選手の活躍でりんごの注文が殺到しているのかもしれません。
外崎りんご園オリジナルタオルまで製作してしまうほど盛況なので、外崎選手の宣伝効果は並外れています。
そんなりんご農家で育った外崎選手はどのような少年時代を過ごしたのでしょうか。
(群馬のりんご園を営む家庭で生まれた高橋光成投手の記事はこちらから読めます。)
りんご園に甚大な被害!?劇的だった外崎修汰の誕生!
外崎選手が生まれたのは、1992年12月20日。
それは、雪が多い真冬のしかも家族が大変な時期でした。
1991年9月28日に青森県を直撃した台風で、外崎家のりんご農園にも甚大な被害をもたらした翌年だったのです。
その台風で木が全て倒れてしまい、外崎家の収入がゼロにまでなったと父・日出城さんが話していました。
収穫直前のリンゴが全滅。三代100年以上続く外崎りんご農園の最大のピンチの時期です。
その真っ只中で外崎選手は育っていくことになります。
家族を幸せに!外崎家が苦労した少年時代とは
外崎選手が野球を始めたのは小学4年生の頃。
家の被害のことはまだ知らなかった外崎少年は、落ちているりんごを木へめがけて投げて、日出城さんに怒られていたのだそうです。
それほど小さい頃から投げるのが好きな少年でした。
そんな外崎少年はだんだんと地元でも名前を知られる選手になっていき、そんな息子の頑張りとその笑顔が家族を明るくしていきました。
日出城さんは「楽しく野球を見れて、応援して本当に幸せでした」、母・公子さんが「楽しくて面白かったことの方が多かった」と家族は外崎少年の野球に希望を抱いて一緒に歩んでいったのです。
当時、父が買ってくれたグローブは修理しながら中高の6年間使い続けて、今は東京の自宅にかざってあるのだそうです。
(中学時代は一番鍛えられたという山川穂高選手の記事はこちらから読めます。)
外崎修汰と両親の想いとは
出典:「https://www.hirosaki44nokai.com/」
外崎選手はドラフト前に、両親へプロ野球選手になりたいという夢を伝えています。
母は「自分のやりたいことをやってほしい」、父は「野球をやって後悔して欲しくない」と両親は外崎選手の夢を応援。
外崎選手は、「お前の好きにやってくれ」と両親から言ってもらったのだそうです。
そして、より一層両親は身を粉にして働いたのです。
それから外崎選手は大学でさらに技術を磨いて、2014年ドラフト3位で西武ライオンズに入団。
家族の夢を叶えました。
(いつも応援してくれたのは家族だったという今井達也投手の記事はこちらから読めます。)
青森にはこれがある!外崎修汰の足腰を鍛えたものとは
今でもプロ野球選手としての外崎選手を支える体力を作ったものがあります。
それは、冬に日課として行なっていた雪上サッカーと雪上ランニングです。
子供の頃にりんご園で走り回って鍛えた足腰を、高校時代には雪上の環境で鍛えたのです。
東北の高校は甲子園で優勝したことがなく、雪が多い地域で練習量が取れない東北は不利と言われます。
しかし、2018年の夏の甲子園で秋田県代表の金足農業が決勝へ進んで躍進。
その金足農業でスターになった吉田輝星投手を支えた足腰も雪の中で走り込んでいたのだと言っていました。
プロで出会った外崎修汰の人生を変える出会い
そして、外崎選手はプロ3年目に躍進することになります。
自己最多の135試合に出場。
その躍進を支えたのが、新しい監督との出会いでした。
それは、辻発彦監督。辻監督は外崎選手の足の速さを活かしたかったと、内野を守っていた外崎選手に「外野をやって見ないか」と声をかけました。
最初は慣れない守備に戸惑っていたという外崎選手も今では内野外野どこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、侍ジャパンでも必要な選手にまでなりました。
(トヨタで出会った恩師との “超速テニスノック” で飛躍した源田壮亮選手の記事はこちらから読めます。)
結婚して父親の後継者には!?外崎修汰とりんご園の関係とは
そんな外崎選手の躍進とともに、外崎りんご農園も躍進を続けています。
外崎選手が飛躍した2017年には『LIONSりんご園』の名前でライオンズサンクスフェスタに出店。
このとき外崎選手がフェスタの公式ページでも外崎りんご農園を告知していました。
外崎選手には実家のりんご園がそのままキャラクターにもなっているのです。
そんな外崎選手に父・日出城さんは、「現役引退して、本人がやりたいといえば」と農園の後継の話もしていたことがありました。
当然ながら、農園をしている家庭には跡継ぎの問題もあります。
野球選手のようなアスリートの選手寿命は長くても40歳ぐらい。
なので、引退後にこうやってりんご園を継げるのは僕はありがたいなあと思います。
外崎選手は2016年7月に青森県出身の一学年下の方と婚姻届を提出。
今は関東に自宅を置いている外崎選手。相手の方が同じ青森県出身というのは、将来的には引退をしてから地元へ戻って後を継ぐということもあるのかもしれません。
\2019年 注目の選手7人の生き方を特集してます↓/
\球場へなかなか行けないなら↓/
\外崎修汰選手のアップルパンチを見るなら↓/
\面白い!意外!感動!プロ野球選手たちの生き方を紹介してます↓/