菊池涼介は自宅で臨戦態勢!?広島の父&兄との約束と7つの証言とは
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いつもグラウンドでやんちゃな性格を見せている菊池涼介選手ですが、そのやんちゃさは私生活にも。
東京生まれの菊地選手を支えた “広島の父” と慕う人の証言とは。
25年ぶりのリーグ優勝を果たしてから3連覇。
それを支えたのは菊地選手のある心の変化が大きかったのかもしれません。
その変化のきっかけとなった別れと決意とは何だったのでしょうか。
今回は、菊池涼介選手の周りの人や環境から『7つの証言』と題して、その人柄を紐解いていきます。
目次
菊池涼介は偏食!?中華料理店「北京」城川さんの証言
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菊池選手には広島市内で行きつけのお店があります。
それは、中華料理店『北京』。
そこには菊池選手が「僕のオススメは大将が僕のオススメです」と勧める店長の城川喜与登さんがいます。
そんな城川さんは、菊池選手は野菜を食べないのだと困った顔。
中華丼をよく注文するのだけれど、城川さんが野菜を入れると菊池選手は「チンゲンサイ食えねえし」と。
城川さんは「困りましたね」と笑っていました。
そんな城川さんのモットーは “医食同源”。
なので、バランスの良い食事をとって欲しいのだと言っていました。
プロ野球選手は怪我や不調がつきもの。
半年の間、週6試合をこなしていくプロ野球選手にとって、食事はより大事になります。
チームによっては栄養士をつけて選手の食事を管理していますが、菊池選手のように野菜も魚介も食べれないとなると、半年間乗り切れるかと心配になってしまいます。
(中学時代に兄弟のお弁当を担当していた田中広輔選手の記事はこちらから読めます。)
菊池涼介の兄との幼少時代とは
菊池涼介選手は東京都東大和市出身。
二人兄弟の次男で兄がいます。
菊池選手が野球を始めたのは3歳ぐらい。
父親と兄・啓介さんが野球をやっていたのがきっかけで、子供の頃から夢はプロ野球選手になることだったといいます。
それに向かってこの頃から練習漬けの日々を過ごしてきています。
菊池選手にとって兄の存在は大きかったのかもしれません。
啓介さんが友達と学校へ行くときには、三輪車でついて行ったのだといいます。
毎日公園でプラスチックのバットを10分も納得するまで振っていたことも。
そんな菊池選手には転機となったエピソードがありました。
(幼稚園時代から身長が飛び抜けていたアドゥワ誠投手の記事はこちらから読めます。)
転機となった中京学院大学時代の証言とは
それは、中京学院大学時代。
野球部のモットーは、「選手の自主性を重んじる」というもので、菊池選手は自分で考えたメニューで練習をしていたのだそうです。
それがきっかけで菊池選手の技術は急成長。
守備の才能を開花させて大学日本代表にも選出。ドラフト候補に成長しました。
菊池選手の特徴は守備ですが、そのプレーの仕方は独特です。
その愛称は “赤い忍者” と言われるほど芸のあるプレーで、その誰にも思いつかないような身体の使い方は、大学時代に自分で考えた練習から生み出されているのかもしれません。
菊池涼介の「母ちゃん」が語る証言とは
偏食として知られる菊池選手ですが、その中でも魚介は克服しているものもあるのだといいます。
その克服させている料理を作っているのが、こちらの『磯辺料理さかい』というお店。
菊池選手が広島に来てから毎週来ているお店です。
女将さんのことを「母ちゃん」と呼び、大将を「親父」と呼んで、菊池選手にとって実家のような存在なのだそうです。
その女将さんは菊池選手のことを「可愛い息子がもう一人できた感じがする」と言っていて、この家は三人兄弟なのに菊池選手がその真ん中に入って4人兄弟と言っているほど仲が良いです。
海鮮全般が食べられないという菊池選手でも、このお店に来て食べれるようになったものが多いと言っていました。
(大学の寮母さんをもう一人の母という大瀬良大地投手の記事はこちらから読めます。)
菊池涼介が広島の親父と慕う酒井さんの証言
そして、親父と慕う大将の酒井博幸さん。
このお店は数年前に知人の紹介で初めて訪れたという菊池選手ですが、酒井さんはそんな菊池選手を気に入って我が子のように可愛がったのだといいます。
それから菊池選手も酒井さんを親父と呼んで、オフシーズンになったらほぼ毎日のようにお店に通ったのだそうです。
東京出身の菊池選手にとって、広島に馴染むことができたのもそのおかげだと語っていました。
酒井さんは、菊池選手について、「小学生がプロ野球選手になったような感じ」「やんちゃだけど、思いやりがある人」と絶賛していて、二人の信頼関係は日に日に強くなっていったのだそうです。
菊池涼介の別れと決意のエピソード
しかし、2015年7月に酒井さんは病に倒れて65歳で他界。
この時期はシーズンの真っ只中。その日も菊池選手は試合があったけれど、そのあとに喪服に着替えて通夜の会場に来て1時間半ぐらい滞在。
息子で長男の健一さんは菊池選手に、次の日も試合があるので早く帰るように言ったけれど、菊池選手は「まだ別れが住んでいない」と帰らなかったと言っていました。
酒井さんは「野球にそこまで興味がなかったのに菊ちゃん来てからよく見るようになったよ」と喜んでいて、菊池選手のことを応援してくれていたのだそうです。
そこで、菊池選手はこの別れの際にある誓いを立てました。
それは、「優勝」すること。
それからシーズンが終わり、オフの練習にはより一層励む菊池選手の姿がありました。
そして翌年の2016年に25年ぶりのリーグ優勝。
そこからセリーグ3連覇と酒井さんとの約束を果たし続けています。
(「家族全員に感謝したい」野間峻祥選手の記事はこちらから読めます。)
自宅では臨戦態勢!?菊池涼介のリフレッシュとは
そんな菊池選手の自宅には意外なものが。
それは、”甲冑” です。
知り合いから “常に臨戦態勢を” ともらったのだそうです。
しかし、そんな菊池選手でもリフレッシュはとても大事なのだと、よく釣りに出かけていきます。
菊池選手は「心の癒しにもなっているし、普段自然と触れ合うことがない」「釣りに行くと、水もあるし山や木もある」
自然を感じたいのだと語っていたことがありました。
僕は菊池選手と同世代ですが、都会の方に住んでいると息がつまるなあと思うこともあります。
そういうときに自然の中に行くのはリフレッシュになります。
菊池選手も「ユニフォームを脱いだら野球のことは忘れたいと思っている」と発言していて、オンとオフの切り替えが必要なことを言っています。
自宅でも気が張ってしまったりするときには、自然の中でリフレッシュできる趣味があるといいなあと思います。
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